2025.7.11 Update!!

ようこそ、リリィ。
お待ちしておりました。
こちらにご署名をお願いいたします。

2025.7.11 Update!!
2025.6.13 Update!!
2025.5.9 Update!!

「(風、ちょっと強いなぁ……)」

崩れた前髪を手で直しながらいつもと変わらない通学路を歩く。
なにひとつ、変わらない日常。
けれどそれは平穏のしるし。
私にとっての愛すべき1日がはじまる。そう思っていたのに――

ピコンと軽快な通知音が鳴りスマホ画面を見ると、知らないアカウントから1通のメッセージがJOINに届いていた。

「誰からだろう……“HKB”?」

見覚えのないアカウント名に不審に思いながらもメッセージを開く。

『はじめまして。
厳選なる選考の結果、あなたが《リリィ》に選ばれました。』

画面を見て思考が止まる。

「待って、リリィ……?」

もちろん、そう呼ばれる存在があることは知っている。
けれど、あり得ない。
平々凡々な日常の延長線上にあっていい出来事じゃない。
頭の中でぐるぐると混乱が渦巻くなか、学校へ向かう足を止めるわけにはいかず、なんとか平常心を保ちながら歩いていく。
見慣れた校舎にほっと安堵したのも束の間で、下駄箱を開けると――

「……?」

中に入っていたのは、百合の花が刻印された綺麗なカード。
そこにはしっかりと“Handsome King Battle”と書かれていた。

“Handsome King Battle”――通称HKB(エイチケービー)。
日本で最もハンサムな高校生、HK(ハンサムキング)を決める戦い。

選ばれた者だけが真のハンサムとしての称号を得て、誰もが憧れるロイヤルスイートライフを未来永劫おくることができる。
そんなHKBの“運命の鍵”を握るのは、毎年唯一選ばれる“リリィ”の存在。
リリィが投票する1票は、HKBのランキングに毎回大きな影響を与える。

「本当に、私が今年のリリィなの……?」

目の前にあるカードを恐る恐る手に取る。
たった今、この瞬間から。
私の日常はおそらく“非日常”に変わるのだ……

あなたの通っている高校は?

「……!」

チャイムの音で意識が浮上する。
このあとは昼休みだ。
いつもなら購買で大好きなパンを買ったり食堂に行ったりしたいところだけれど、頭の中はリリィとHKBのことでいっぱいで、それどころではなかった。
そんな不安に追い討ちをかけるように、教室内に突如黄色い歓声が響く。

北門「ちゃんはいる?」

女子たちの浮き立つ声に混じって、私の名前が呼ばれたのが聞こえた。
伏せていた顔を上げて扉の方を見ると、HKBの候補者である北門先輩が立ってこちらを見ていて目が合う。

北門「よかった、教室にいてくれて。昼休みに何か予定はある?」
「いえ、特に予定はありませんが……」
北門「ふふ、そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。少しいいかな? 話したいんだ」
「……はい」

(警戒は、しますよ……?)

2年の教室に別の学年の人が訪ねて来るなんてただでさえ珍しいのに、その相手が北門倫毘沙先輩となれば注目の的になるのは避けられない。
私が通う帝園高等学校は、日本全国から大企業や資産家の御曹司や令嬢が多く通っている。
その中でも北門先輩は生徒会長でもあり、ご実家は世界中で高級ホテルリゾートを経営する大企業・NORTH RICHEST。
お家柄も超エリートの御曹司だ。

(正直、私みたいな一般枠で入る生徒が、気軽に会話できるような人じゃない)

現に良家出身である生粋のお嬢様方が、我先にと北門先輩に話しかけている。

女子生徒1「倫毘沙先輩、今度の休暇は先輩のお父様が経営されているバリのホテルに行く予定なんです」
北門「そうなんだ。良い旅になることを願ってるよ。バリならリラクゼーション施設も充実してるから、楽しんでね」
女子生徒2「あのっ、私もオアフ島のホテルに滞在予定でして」
北門「ああ、俺も久しぶりに行きたいな。あそこは海が綺麗なんだ。ゆっくりとテラスで過ごすのがおすすめだよ」

受け答えも実にスマートだ。

北門「ちゃん、それじゃあ行こうか」
「えっと、どちらに?」
北門「それはお楽しみってことで」

笑顔が眩しい。
けれどそれとは対照的に私の心は曇っている。

(……不安すぎる)

北門先輩から1メートルほど後ろをついて歩いていく。
廊下ではたくさんの女子生徒に話しかけられていて、改めてその人気を肌で感じていた。

(やっぱり、私がリリィなんてなにかの間違いじゃないかな。
だって、身分が違いすぎる……)

案内されたのは一般生徒が立ち入る機会が滅多にない、中庭にあるガゼボだった。
そしてそこにもう一人いたのは……

北門「竜持、お待たせ」
是国「おそーい! 予定の時間から5分遅れてる」

これまた学校では有名人であり、北門さんと同じくHKBの候補者の是国竜持くん。
学年は私の一つ下ながら、ご実家は老舗のお菓子メーカーであり、副会長として学校運営を支えている。

是国「どうせトモのことだから、女子たちに話しかけられて足止めでもされてたんでしょ」
北門「なんでもお見通しだね。みんなから色々と素敵な報告を聞いてたんだ」
是国「ホント、お人好しなんだから」

2人の仲が良いことは会話を聞いていればよくわかる。

(たしか幼馴染なんだっけ……?)

是国「そこの人も、突っ立ってないでこっち来なよ」
「……はい、失礼します」
北門「ちゃんだよ」
是国「へえ、あなたが。よろしく、リリィ」

大きな瞳にじっと見つめられ、思わず怯んでしまう。

(全てを見透かされそうな視線……)

けれど私の強張った表情を見てか、小さなため息をひとつ吐くと気遣うような声色で席に着くように促された。

是国「これ、食べて」
北門「竜持のご実家のお菓子だね。あ、これって新作?」
是国「そう、トモも好きだと思う。ほら、も。あ、一応先輩って付けたほうがいい?」
「どちらでも、大丈夫です……」
是国「そんな怯えないでよ。賄賂とかでもないからフツーにどうぞ」

上品なお皿に乗せられていたのは、まるでそこに花畑でもあるかのように美しい生菓子だった。

「いただきます……!」
北門「美味しいでしょう?」
「はい、すごく。おいしいです」
北門「竜持、よかったね」
是国「ま、当然だけどね」

そう言いながらも、笑った竜持くんは本当に嬉しそうで、少しだけ緊張がほぐれる。

北門「早速で申し訳ないんだけど、HKBについて話してもいいかな?」
是国「僕ら2人が揃っている以上、HKの座を他に譲るのはあり得ないと思ってる」
「やっぱり、私がリリィで間違いないんですね」
是国「え、夢だとでも思ってたの?」

是国くんが私に向ける瞳からは『信じられない』という本音が覗いて見えた。

「……はい。でも今お二人とこんな近くで話していたら、現実なんだって理解しました。というか理解させられました」
北門「ふふ。もちろん、君がリリィじゃなくても、俺はいつでも近くで話したいけどね」
是国「トモ。すぐそういうこと言うから周りはどんどん勘違いするんだよ」
北門「……そういうことって?」
是国「あー。なんでもない、気にしないで」
「ふふっ」

2人のやりとりに、自然と笑みがこぼれる。
ついさっきまで近寄りがたいと思っていたけれど、実際に話してみると先入観だけで畏怖の対象にしていた部分が大きかったのだと気付く。

是国「あ、笑った」
北門「よかった」
「……え?」
北門「ずっと表情が固かったから」
是国「本当。これからどんな処罰を受けるの?って思うくらい強張ってた」
「すみません……」
是国「まぁ無理もないか。突然リリィだって言われたら、誰でも驚くと思うし。むしろ僕は、リリィがあなたで安心した」
北門「そうだね。君が誰よりも適任だって直感した。悪用の心配もなさそうだ」
「悪用?」
是国「当然でしょ。HKを生んだ学校もHKになった人も、将来の安泰が約束されるんだから」
北門「リリィの権利は多くの人々に渇望され、リリィ自身も……HKの候補者に求められる」

そう言われた瞬間、ポケットにあるカードの重みをずっしりと感じる。

北門「ごめん、また緊張させちゃったかな?」
是国「怖がる必要はないよ、同じ学校にリリィがいるなら僕たちにとって好都合だし。
怖い思いはさせないって約束する」
「……ありがとうございます」

予想もできない不安に支配され暗雲が立ち込めていた私の心に、少しだけ光が見えたような気がした。
どんなセキュリティよりも安心できる2人の言葉は、今の私にとって神託のようなものだ。

是国「……これから先輩は、HK候補者から甘い言葉をたくさん囁かれると思う。でも僕たちだけに耳を貸して?」
「甘い言葉を囁かれる……?」
北門「――確かに」
是国「トモも気付いた?」
北門「うん。今年のリリィが異性だと分かれば、手にいれる方法はわかりやすい」

二人の笑顔はまるで絵画のように美しいのに、なぜか私の背筋に冷たいものがはしる。
だって、これはつまり――

北門「ちゃん、俺は必ず君を夢中にさせるよ」
是国「僕に恋する覚悟、しておいてね」

「え……?」

安心したのはほんの一瞬。
やっぱり波乱が訪れるのだと、2人の瞳が告げていた。

(ここに逃げてきて正解だった……)

私は今、軽音楽部が使っている部室に隠れていた。
というのも、今年のリリィが私であるという情報はあっという間に校内中を駆け巡った。
それによって好奇の目を向ける生徒や、あることないことを噂する生徒、中には酷い言葉を投げつける人もいて、教室に居づらくなってしまった。

(……私もリリィになるなんて今さっき知ったばかりなのに)

阿修「ちゃん、お待たせ〜〜〜! お昼買ってきたよ!! メロンパンにする? それとも焼きそばパン? サンドイッチもあるよ!!」
「悠太くんが先に選んでいいよ。それとありがとう。此処、すごく落ち着く」
阿修「でしょでしょ〜? 昼休みは人も滅多に来ないし、そもそも部員が少ないから2人占めできちゃうチョー穴場!!」
「声かけてもらわなかったら、トイレで過ごしてたと思う」
阿修「元クラスメイトで親友の僕が、ちゃんのピンチに駆け付けないわけないじゃぁーーーん!!」
「ふふ、ありがとう」

悠太くんがミックスジュースとメロンパンを渡してくれて、ありがたくいただく。
いただきます、と言おうとしたところで……誰かが扉を開ける音がしてビクリとする。

「……ッ」
愛染「あれ、悠太。……しかもかわいい女の子を連れてるなんて、隅に置けないな」
金城「チッ、なんでいんだよ」
愛染「俺と会ってる時点で部室が無人じゃないってことはわかるだろ」
金城「うるせー。オマエも来んな」
愛染「俺は仕事の準備があるからしょうがないだろ、ここじゃないとゆっくりできないし。むしろ剛士は生活指導の修二先生の呼び出し、無視してるって聞いたけど?」
金城「うぜー」
「……」
阿修「まあまあ、2人ともそこまでにしよ?? みんな必要があってここに来たんだからさ!」
愛染「必要があって? 悠太たちも?」
阿修「そそっ、ワケあって ちゃんと仲良くランチ中だよ〜♪」
愛染「ちゃん、か。名前も可愛いね」
金城「“ワケ”ってなんだよ」
「少し……人目を避けたい事情が」
阿修「そうだ! ケンケンとごうちんも仲良しランチに混ざる? 一緒に食べよ〜〜!」

悠太くんにとっては、2人は親しい部員かもしれないけれど。

(私はほぼ初対面だし、全く落ち着けないよ……?)

金城「誰が混ざるか」

金城さんと言えばうちの高校では主に不良の方で有名で、停学ギリギリのところを英語の成績の良さだけでカバーしているという噂。
その一方で、一歩外に出ればライブハウスを満員にするほど人気アーティストらしい。

愛染「素敵な女の子とのランチなら大歓迎だよ。仲良くなりたいし♡」

愛染さんは芸能活動もしていて、校内でファンクラブもあるほどの人気者だ。
一応軽音楽部に属しているけれど、参加率は金城さんと同じくらい悪いと阿修くんから聞いている。

阿修「ケンケンは何食べる? パンあるよ!!」
愛染「パンはいらない。俺はこれがあるから。ほら」
阿修「何それ?」
愛染「サラダボウル」

さすが芸能人、美容に気を遣っている。

「健康的だ……」

無意識に、そんな心の声が漏れる。

愛染「まあね、健康管理も仕事のうちだから。――で、ちゃんが今年のリリィなんだって?」
「えっ!?」

思わぬところから私の話題になって、肩が大きく跳ねる。
視界の端で金城さんも顔を上げたのがわかった。

愛染「人目を避けたいってどうしてかなって思ったけど、名前を聞いて納得したよ」
「……」
愛染「俺もそろそろ仕事のランクをアップさせたいと思っててさ。HKBはいい機会になるって考えてたんだよね。だからここでちゃんと巡り会えたことはすごくラッキーだな」
阿修「そっか!! ケンケンは候補者なんだもんね!!」
金城「……自分のことをハンサムとか思ってるやつ、痛すぎだろ」
愛染「喧嘩売るのやめてくれる?」
金城「オマエが地獄耳だったの忘れてたわ。悪ぃな」
阿修「アハハ!! ケンケン地獄耳〜〜!!」

(悠太くん、すごい……!)

愛染「それに剛士は興味ないって顔してるけど、よく考えてみたら? HKになれば、校則違反もギリギリの単位も、ぜーーんぶ目を瞑ってもらえるんじゃない?
口煩く言ってくる教師たちもいなくなるよ」
金城「……」
阿修「僕には分かるよぉ〜? ごうちん、満更でもないって思ってるでしょ?」
金城「ウルセェ!!」
愛染「はは、図星だ」

金城さんが椅子を蹴って、ガタンと大きな音が立つ。

阿修「ちゃん、ごうちんはあの状態が普通だから全然気にしなくて大丈夫だよ!!」
「う、うん……」

(そう言われても、ちょっと怖い……!)

愛染「悠太はちゃんと本当に仲良しなんだ?」
阿修「うん、大親友♪」
愛染「HKBでは人柄の良さも評価されるし、俺は悠太も向いてると思うけど。立候補したら?」
阿修「えー、僕はいいかなあ。でも2人がHKになったら軽音楽部が注目されて、部活の時間が潤うかもしれないし、それはすぅーーーごく楽しみ!!」
愛染「その理論でいくと、悠太もHKBに出た方が“軽音楽部出身のHK”が誕生する確率は上がると思うけど」
阿修「おおお!! なるほどぉ!!??」

メロンパンを食べるのをすっかり忘れるくらい、愛染さんの話の裏に何か引っ掛かるものを感じる。

金城「愛染、オマエ……」
「2人を焚き付けてる……?」
金城「……」

金城さんの言おうとしていたセリフを言ってしまったようで、バチリと視線が合う。

「わ、すみません!」
金城「別に」
阿修「えええ???!!! ケンケンそのつもりだったの?」
愛染「ライバルは強い方がゲームとしてやりがいがあるし、そこで正々堂々と勝った方が箔がつくからね。もちろん、今年はとても俺好みのリリィに選ばれることになりそうだし」

愛染さんが綺麗な形をした瞳を流れるようにこちらに向ける。

(うう、そんな見つめられると……)

HKBの候補者1名と、参加に心が揺れている2名を前にして、困惑してしまう。

愛染「俺からちゃんにひとつ提案があるんだけど、聞いてくれる?」

少しだけ怖い。
それは愛染さんが今から話すことが、HKBに関することだとわかっているから。

阿修「大丈夫!! ケンケンは女の子にとっても優しいから」
「悠太くん……。はい、愛染さんの話を聞きます」
愛染「ありがとう。さっきも言ったとおり、俺はHKになりたいと思ってる。
それと、多分2人もHKBに立候補することを考えてるんじゃないかな。どう?」
阿修「う〜〜〜ん、ちょびっと心がグラグラしてるかも!? ごうちんは?」
金城「オマエらに言う必要ねぇ」
愛染「その言い方は参加するってことだ」
阿修「ごうちんバレバレ〜〜〜!(笑)」

すぐに阿修くんが耳元で囁いてくる。

阿修「ごうちんってチョロいよね♪ 可愛いんだ〜♡」
「!」

(金城さんにこのテンションで会話できるの、本当にすごいなぁ)

愛染「ということで。
変な注目をされたくないちゃんと俺たちが結託すれば 、快適にHKBの開催期間を過ごせるんじゃないかって思うんだ。
校内で好感度の高い悠太がそばにいて、俺が女の子の心を掴んで悪い方向になるようなことはしない。変なゴタゴタは剛士が睨みを利かせて黙らせればいいし」
金城「は? 勝手に決めんな」
阿修「えっ、それすっごくいいと思う! ちゃんには、毎日楽しく過ごして欲しいし! それを手伝えるなら僕、HKBに参加する!!」
愛染「悠太ならそう言うと思ってたよ。此処に来るまでの間に、リリィに関する噂は良し悪し色々聞こえて来たからね。リリィになる子は大変だって思ってたんだ。剛士は?」
金城「オマエのその得意顔が気に食わねぇ」
愛染「それはつまり?」
金城「ボコボコに倒してやる」
愛染「楽しみだ。最後にちゃんは? 悪い話じゃないと思うけど」
「私は――」

平穏な学校生活を送りたい。
けれど、このまま隠れてばかりもいられないということも分かっていた。

愛染「俺たちに協力、してくれるよね?」
「……わかりました」
愛染「ありがとう。それじゃあ作戦を詰めようか」

これはとても機械的な、利害一致の結託。

愛染「今日から俺たちは仲間ってことだ。よろしく」
金城「最後はオマエのこと、ぶちのめすけどな」
阿修「あれれ?? でもでも、リリィが選ぶのって候補者のうち1人だけだよね……?」
「えっと……」
愛染「最後の最後は俺たちみんな、ちゃんの心を奪い合うライバルだね」
「!」
阿修「よーし、絶対ちゃんに投票してもらう!!」
金城「まずHKBに参加するところからだろ」
愛染「へえ、剛士もやる気だ」
金城「勝負するってんなら、誰にも負けるつもりはねぇ」

何事もなく無事にHKBを終われるのか。
一癖も二癖もある彼らに、惑わされない強い心を持ち続けなければ。

「……本当にあった」

図書室の奥の棚。私はとある宇宙図鑑を見つめて立ち尽くしていた。

遡ること1時間前――
私は自身がリリィであるとバレてしまうことを恐れていた。
リリィとして選ばれたのはとても栄誉なことだと頭では理解している。
けれど、あの有名なHKBの結果を左右しかねない権利を自分が有すると周囲が知ったら……今の大好きな環境が変わってしまうことが恐ろしかった。

(珍獣を見るみたいな目を向けられるかもしれないし、心無い言葉だって向けられる可能性もある……)

平穏な学生生活とは程遠くなる。

(それはちょっと、いやかなり……めんどくさいかもしれない)

そう思ってまず浮かんだのが、図書室に行くことだったというわけだ。

『裏生徒会』――その存在は、名月高等学校に伝わる七不思議のひとつ。この学校に属する学生の悩みをなんでも解決してくれる組織として噂されている。
助けを求める方法、それは図書室の一番奥の本棚にある宇宙図鑑を目印に、日付と同じページに相談をしたためた手紙を入れると、いつの間にか解決されているというものだった。

手紙を青い封筒に入れて、真ん中に三日月のマークを描き図鑑に挟む。

(もしただの噂だったらそれでいい。迷信だったと思って諦めよう)

そうして手紙を入れて次の日、“いつの間にか解決されている”という噂とは異なって、私の元には……。

(返事が来た……?)

ある夜、戦々恐々としながら指定された校舎裏に行くと、そこに立っていたのはクラスメイトの暉くんと、スポーツ特待生として有名な野目さんだった。

王茶利「チャン、ホームルームぶりだね!」
野目「お前の友達か」
王茶利「そうそう! ちょっと前まで隣の席だったんだ!」
「これは、どういうこと……?」
野目「色々混乱してるところで悪いが、まずはこれにサインしてくれ」

渡された書類の上部には“機密保持契約”と書かれていて、細かい文字で難しい言葉がずらっと並んでいた。

(高校生でこんな契約を結ぶ経験、初めて)

甲と乙に頭がぐちゃぐちゃになりながら、なんとか書類を確認し、最後のページにサインをする。
野目さんは書類に不備がないか確認すると、小さく謝罪をして目隠しをした。

王茶利「怖いことは絶対しないから! 約束する!」

小さく震える私の手を暉くんが優しく引いてくれて、案内されたのはどこかの建物の一室。
目隠しをとったとき目の前にいたのは――

釈村「ようこそ!」
音済「……怖い思いをさせたと思う。すまない」
増長「裏生徒会のサンクチュアリへようこそ」
「裏生徒会の正体は皆さん……」
増長「“第10条”」
「秘密保持、ですね」
音済「悪いが、この件は口外無用だ」
釈村「手荒な真似はしたくないので、お願いしますね」

私がこくりと頷くと、暉くんが眉を下げて苦笑いしていて、それに少しだけ心が安らいだ。

増長「早速で悪いけど、本題といこうか。君の相談は承ったよ。俺たちとしても少し考えていたことがあったからタイミングが良かった」
音済「我々はもともとアンダーグラウンドな組織として存在している」
釈村「ですが、より強固な基盤を築くこと、および可能であれば勢力を広げ権限を強めたいと考えています」
野目「今は精々、学園内とその周囲の関係者くらいだからな」
王茶利「十分すごいけどね!?」
「つまり、HKBを利用したいとお考えで……?」

私がそう伝えると、増長さんは感心したように目を見開いた。

増長「流石リリィに選ばれるだけあるな。話が早い」
王茶利「チャン、オレたちと協力してくんない?」
野目「それは詳細を端折りすぎだ」
王茶利「ごっめーーん!」
音済「HKBについては、運営する母体を含め、影響力の及ぶ範囲、それを可能にする組織力など不明な点が多い」
釈村「僕たちもこれまで独自に調査してきましたが、どうしてもセキュリティの問題で内部を知るのに難航していたんです」

座っているソファは重厚で、けれど少しでも動こうものなら高級な皮がキュッと鳴る。
そのせいで出されたお茶も緊張して飲めない。

増長「それで今回、俺たち裏生徒会のメンバー全員がHKBに参加することで内部調査を進めようということになっていたんだ。コネクションもゲットできそうだしね」
釈村「そこでさんにご相談させてください。僕たちと一緒に裏生徒会として活動しませんか」
「エッ……!?」

(そんなまさか)

リリィとして何らかの協力を求められる覚悟ではいた。
けれど、裏生徒会に誘われるというのは、予想していなかった。

王茶利「安心して! もしキミがメンバーになってくれたら、相談の手紙に書いてあった通り、キミがリリィだって情報は漏れないようにする!」
野目「ダミーの手配は釈村とともに手配済みだ」
音済「こちらも掲示板の書き込みに仕掛けをしておいた」
釈村「集団心理の操作は容易いですから」
増長「――ということで、こちらの準備は完了してるんだけど、どうかな。さん」

正直、この条件は悪くない。
それどころか、謎の組織だった裏生徒会に誘われているというのが、今までにないほど私の好奇心をくすぐった。

「私でよければ。ご協力できるように精一杯頑張ります」
王茶利「やったーーー!! ね、チャンなら絶対参加してくれるって言ったっしょ?」
野目「お前が太鼓判押してたもんな」
釈村「どことなくマミリンに似た瞳の光り方をしています。信用できる証拠です!」
音済「それが裏付けになるのか……?」
「えっと、ありがとうございます?」
増長「こちらこそ。そして、ようこそ」

増長さんがスラリとした手をこちらに伸ばし、私は遅れてそれが握手だと理解した。
握り返された手は思っていたより力強くて、今起こる全てが現実の出来事なのだと感じる。

釈村「早速で申し訳ないですが……気になることが1つありまして」
王茶利「ズバリ! 誰とペアになるか!」
釈村「ピンポンピンポン、大正解っ!!」
王茶利「ピーちゃん、座布団1枚持って来て!」
音済「用意すればいいのか?」
野目「冗談だから、本気にしなくていい」

裏生徒会は、思ったよりも和気藹々としているようだ。

(なんか……拍子抜けしちゃった。それに、楽しそう)

増長「こちらから誘っておいてなんだけど、特段、今すぐ増員が必要な役職はないんだ。だから最初は誰かとペアになって活動してもらえるかな?」
音済「会長はこう言っているが、まだに関しては完全に信用したわけじゃない。監査期間を設ける意図だ」

(……和気藹々は訂正。やっぱりシビアだ)

野目「そんな硬くならなくていい。自然にしてもらったほうがこちらも見やすい」
王茶利「でもタツ、それが難しいんだって!」
音済「だがどんな時も平静を装えるくらいの度胸がないと、裏生徒会は務まらない」
釈村「一理ありますね」
王茶利「……うっ、それはもしかしなくてもオレのこと!? もっと頑張ります……」
増長「ふふ。さんは誰と一緒がいい?」
「……正直、暉くん以外の方とはまだそんなに親しくなくて」

膝の上に置いた両手をギュッと握り込む。
どこまで見られているかと思うと、油断ができない。

王茶利「んじゃ、オレとペアっちゃう!?」
野目「力に自信があるなら、俺のところでも構わない」
釈村「龍どのからのアプローチとは、珍しいですね?」
野目「秘密保持の契約のとき、青い顔してるの見たらなんかな……」
王茶利「タツは最高に優しいからね!」
音済「ネットに興味があれば、俺のところも歓迎だ。ともにダークウェブの奥まで探ってみよう」
増長「それはほどほどにね?」
王茶利「オレと一緒にいろんな人と話せば、友達100人も夢じゃないよ!?」
釈村「論理的思考がお得意であれば、僕と一緒にありとあらゆるものをロジカルに紐解いていきましょう……!」
音済「みかが偶によくわからないことを言っているが、大体アニメに関することだ」
「はい……」
増長「全部をバランスよく見るなら、そして裏生徒会のことをよく知りたいなら、俺とのペアがいいかな」

それぞれのメンバーの話を聞いていると、今ここで誰かひとりを選ばなければいけないみたいだ。
リリィとしてひっそりと、その姿を隠すために相談したはずが、裏の世界に足を踏み入れてしまった。
これから待っているのは“リリィ”という立場と、HKBを探る“裏生徒会のメンバー”という二足の草鞋。

(でもむしろ、これくら緊張感があったほうがいいのかもしれない)

――深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだから。

「明謙くん……」
不動「ちゃん」

私が今年のリリィであるという噂はあっという間に学校中に駆け巡り、そして私は――
なぜか柔道場の真ん中で明謙くんと対峙していた。

(この状況は……どういうことなんだろう?)

不動「突然呼び出したりしてごめんね!」
「あの、それはさっきも言ってもらったから本当に気にしないで」

もともと柔道部のマネージャーとしてお手伝いしていたこともあり、明謙くんから声をかけてもらった私は、何も考えずに柔道室に向かった。
けれど室内に入ったら最後。全ての扉の前に人が立ち、逃げ出すことは許さないという状況に置かれる。

(四面楚歌の言葉の成り立ちって、これなのかもしれない……)

と冷静に努めようとする頭で考える。
それぞれ扉の前には唯月くんと遙日くん、そして弥勒くんが立っていて、彼らは明謙くんの親友。私がここにいる事情に絡んでいるに違いない。

不動「……早速だけど、君に相談があって」
「はい。あの、その前に……逃げるつもりもないので、みなさん座りませんか?」
遙日「えっ、いいの!? やったー! ずっと立ちっぱで疲れちゃった」
唯月「ああ、言ったそばから……はるったら」
殿「それでは失礼します」
不動「うっ、ごめんね。閉じ込めるつもりはなかったんだけど、この話は誰にも聞かれたくなかったし、僕たちの真剣さを伝えたくて!」
「明謙くんがいつも真面目なのは知ってるし、ちゃんと聞くから。それで、さっきは話の腰を折ってごめんね。続きをどうぞ」

私は目の前に座り、唯月くんたちの顔を見渡す。すでに明謙くんが私に伝えようとしていることを、彼らは分かっているみたいだ。

不動「僕たち、煌蘭学園高等学校のことが大好きなんだ」
殿「我が校の歴史は江戸時代まで遡る。一時は運営を不安視される声もあったが……」
唯月「海外の教育機関と提携して、これまでと変わらず、むしろそれ以上の水準まで上り詰めて、今や日本トップレベルの高校までになりました」
遙日「でもでも、まだまだこの学校は上に行ける!! ってオレたちは思ってるんだ!」
「それと、私にどんな関係が?」
不動「君が今年のリリィになったって聞いた。それは本当?」
「……それは。はい」
唯月「隠すのも誠実ではないのではっきり伝えると、僕たちにとってHKBの開催、そしてあなたがリリィであることは好都合なんです」
殿「HKがこの学校から生まれたら、より煌蘭学園高等学校の名前は全国へ知れ渡り、ブランド化されます」
遙日「出願者も増えるし、資金が潤沢になればみんながこの学校で学べることも増えるでしょ? 将来社長になったり政治家になったり、すっごい生徒がもりもり誕生するかも!」
不動「だからちゃん、僕たちと一緒に頑張ろう!」
「……ッ」

突然、明謙くんに両手をぎゅっと包まれる。
握られた手はあたたかくて、僅かに込められた力は真剣さを帯びていた。

不動「仲間になって、この学校のために全力を尽くそう!」
遙日「おねがい!」

遙日くんも明謙くんの手のひらの上から、私の手を包む。
息がかかりそうなほど近くで、2人の輝く瞳が私をじっと見つめていた。

唯月「……2人とも、ちょっと圧が強いかも」
殿「怖がらせたら逆効果だ」
不動「わっ、ごめん!」
「それで、具体的に私は何をしたらいいのかな? リリィとは言ってもHKBで投票するくらいしかできないし」
唯月「それです」
殿「その投票で、俺たちの誰かに投票してください」
「でもそれは……」

(八百長というか、不正にならない?)

この学校で重んじる校訓、そして私の知っている明謙くんの信条に反する考えに、不信感が顔を出す。

不動「ちゃん、大丈夫だから。ルールを侵すようなことは絶対にしない。正々堂々、清く正しく美しく投票してもらうつもり!」
遙日「ということで、には、オレたちのことを好きになってもらおうと思って!」
「………………え」

今までの人生で、一番間抜けな声が出たかもしれない。

唯月「ご、ごめんなさい。色々と説明が足りなくて。えっとつまり、リリィであるあなたの心を僕たちがちゃんと掴んで、『投票したい』と思わせれば嘘にはならないということです」
殿「俺たちの誰か1人でも、あんたがHKとしてふさわしいと思ったら投票してください。そうなるように、俺たちは頑張るのみです」
「なるほど……」

(理屈は理解はしたけど、全然わからない。……けっこう無茶苦茶なこと言ってる気がするけど)

でも目の前の4人の瞳には少しも濁りはなくて。
だからこそ今日ここに呼び出して、ちゃんと真正面から伝えてくれたんだと納得した。

遙日「HKBの期間中は、オレたちを恋人だと思っての好みを教えて?」
不動「理想の彼氏になって、必ず投票してもらえるようにするから!」
唯月「彼氏じゃなくて、HKだからね……?」
殿「似たようなものじゃないのか?」
唯月「との……」
「……ふふっ、あはは」

そしてなんとなく、彼らのこの会話に和んでしまっている自分がいる。
すでにもう、彼らのことを人として好きになっている気がした。

遙日「ではでは早速!! オレとデートしてください!」
殿「その順番はどうやって決める、じゃんけんか?」
遙日「あみだくじがいい!」
唯月「あの、みんな肝心なこと忘れてるかも」
不動「え? ……あ、そっか! ちゃんからまだ返事もらってなかった」
「あ、そうでしたね。えっと、それじゃあ……」

まんまる目がこちらをじっと見つめる。
漫画だったら、うるうるしているチワワが4匹いるみたいな絵面に違いない。

「わかりました。仲間として協力する、ということで」
不動「ありがとう!」
唯月「ありがとうございます」
遙日「やったー!」
殿「感謝します」
「ただ、みなさんが言うように不正は良くないので、ちゃんと向き合って決めます」
遙日「もちろん! じゃあ早速、オレとドッグカフェデートに行こう!」
唯月「それじゃあ僕は、猫カフェに」
殿「普通のカフェじゃ駄目なのか?」
不動「カフェってそんな種類ある……? デートってカフェしばり?」
「探せば色々あるみたいですね、ハンモックカフェとか」

4人はすぐにスマホでデートスポットを探したり、『芸能人だったら誰が好き?』と私を質問攻めしてきたり。
本当に“リリィの理想のHK”になるんだという意気込みを感じる。

(……すっかり癒されてたけど、明謙くんも唯月くんも、遙日くんに弥勒くんも……校内でかなりモテる人たちだよね)

そんな彼らを侍らせたら、私は今度こそ女子生徒たちから四面楚歌の状況になってしまうのでは……。

唯月「あの、なにか不安なことでもありますか?」
殿「仲間になったからには、なんでも言ってください。できる限りのことに対処します」
遙日「そうだよ! 楽しいこともそうじゃないことも、キミからの話ならウェルカムだから!」
不動「どんな状況になっても、絶対にちゃんの味方だよ」

(わ、わわっ……)

「今の、すごく良かったです」
遙日「えっ、ほんと!? こういう感じ好き?」
唯月「メモ……」
殿「勉強になります」
不動「あははっ、本気だったんだけどな……」

見逃しそうなどんな一瞬だって、彼らは一生懸命だ。
そんな姿を見て、私もリリィとしての役目を全力で果たそうと心に誓った。

北門「ちゃん、ランチに行こうか」

昼休みになると、よく通る綺麗な声が私の名前を読んだ。

「はい」

私が“リリィ”になり北門先輩と是国くんと話したあの日から、北門先輩は毎日昼休みに会いに来てくれるようになった。
ランチの誘いも、気後れしてしまい断ろうとするものの、巧みな話術に乗せられいつも気付けば席に座ってしまっている。

(わかっていたけど、本当にまるで住む世界が違う……)

最初に誘われたランチは空き教室がレストランのように変貌していて、星付きレストランのシェフが素敵な料理を用意して待っていた。
とても驚いたけれど、きっと北門先輩たちにとっては当たり前のことなんだろう。

北門「今日はカフェテリアに行こうと思うんだけど、いいかな?」
「はい。慣れた場所なので安心します」
北門「それはよかった。普段のちゃんのことを、もっと知りたいからね」

学内にあるカフェテリアには和洋折衷いろいろな料理が揃っており、日本を代表するレストランが監修していてとても美味しい。

北門「券売機で食券を購入するんだったよね」
「はい。北門先輩は利用したことありますか?」
北門「実は今日が初めてなんだ。けど、生徒会長として学内の施設のことは全て把握してるよ。ちゃん好きなメニューはどれ?」
「私は……このオムライスが好きです」
北門「じゃあ、俺もそれにしようかな」

それぞれ料理を持って席を探す。
昼休みともあって、テーブルは割と埋まっていた。

(北門先輩をこのままお待たせしてしまうわけにはいかない。ここは私が……)

中庭がよく見える窓側の席に空きがあるのを見つける。

「北門先輩、あそこにしましょうか」

私が誘導すると、北門先輩は優しく微笑んだ。

北門「花も緑もあって、素敵な景色を見ながらランチができるなんて嬉しいな。ちゃんのセンスは素晴らしいね」
「いえ……そんな褒めていただくほどでは……」
北門「そんなことないよ。景観は俺もこだわりがあるんだ。特に中庭は生徒たちみんながリラックスできるような場所にしたいと思っていたから、君がこの席を選んでくれたことがとても嬉しい」
「そうだったんですね」
北門「みんなには笑顔で過ごしてほしいからね」

その後も、北門先輩は中庭の花について聞かせてくれた。
どの花にもこだわりが詰まっていて、彼が学園の生徒会長として細部まで目を配っているのが伝わってきた。

校庭に面した席が空いているのが見えたので、私は北門先輩を先導した。

「この窓側のテーブルでもいいですか?」
北門「もちろん。むしろすごくいい席だと思う」
「いい席……?」
北門「全体が見渡せるからね。全校生徒を覚えることはなかなか難しいし、部活や学年が違うとほとんど関わらないことの方が多い。だから、時間があるときはこうして学園を見渡したりしているんだ」
「なるほど……。ただ、私はそんなところまで考えてたわけじゃ……」
北門「うん。君が自然と選んだとしても、その選択が俺の感性と一致したということがとても嬉しいんだ」

“家柄も素晴らしく、肩書も立派でなんでもできる人”
私だけではなく、大半の人がきっと彼に抱いていているイメージだ。
けれど話すうちに見えてきたのは、北門先輩が生徒会長としてこなしていることは、私たちの想像をはるかに超えているということ。

(生徒会長というよりも、創設者という方がしっくりくるかもしれない……)

ランチでの会話は思っていたよりも弾み、予鈴の音でまもなく昼休みが終わるのだと気付く。

北門「ちゃんと話していると時間があっという間に過ぎてしまうね。明日から昼休みの時間を増やす議案でもだそうかな」
「えっ!? じょ、冗談です……よね……?」
北門「ふふ、どうだろう? でも、それくらい時間が足りないと思っているのは本当だよ」
「……」

熱い視線を受けて、戸惑ってしまう。

「あの、そんなに見られると困ります……」
北門「ああ、ごめんね。なんだか不思議な気持ちだな」
「不思議……?」
北門「うん。これまであまり感じたことのない感情というか。ちゃんと会う回数を重ねるごとに、君を素敵だなと思うことが増えていくんだ」

――唐突に、なんの話だろうかと混乱した。
そんな私をよそに、北門先輩は話を続ける。

北門「最初は少しでも仲良くなれたら、くらいに思っていたんだけど。時間を重ねるとその思いも変化していくんだね。今も、君のまつ毛の影が綺麗だとかそんな些細なことで俺の心が揺れるんだ。いつの間にか俺の方が……」

そう話す北門先輩の澄んだ瞳が真っ直ぐに私をとらえる。
一瞬が、とても長く感じる。

北門「……」
「……っ、あの……北門先輩……?」
北門「……あ、もうこんな時間か。そろそろ行こうか」

そう言って席を立つ瞬間、少しだけ違和感を感じた。

(なんだろう)

北門先輩の瞳が一瞬切なそうに揺れた気がした。

そしてそれは――

『俺は必ず君を夢中にさせるよ』

私にそう言ったあの日と、同じ瞳をしていた。

阿修「今日はどこに寄り道しよっか」
「あはは、寄り道は確定なんだ?」
阿修「あったりまえのもちろんだよーーー!!! だってせっかくちゃんと一緒に帰るのに、家に直行なんてもったいない!!!」

放課後、教室まで迎えに来てくれた悠太くんと一緒に校舎を後にする。
愛染さんはモデルのお仕事、金城さんもライブがあって部活はお休みらしい。
あの日、愛染さんの提案に私が乗ることになり、合わせて悠太くんもHKBに参加することが決まった。

(“リリィ”に選ばれた時は、この先の学校生活がどうなってしまうのか心配だったけど……)

こうして常に悠太くんがそばにいてくれるおかげで、今のところ生活にそこまで大きな変化はない。
彼がいると自然と周りは笑顔になり、明るい空気に包まれる。

(……間違いなく、悠太くんの人柄のおかげだよね)

ご機嫌で鼻歌を歌っている悠太くんの横顔を見ながら、そう思う。

阿修「あ、なんかいい匂いがする!! ……これは……クレープだ! よーし、今日の寄り道はクレープに決定♪ どう!?」
「うん、賛成!」

毎週学校近くにやってくるクレープのキッチンカーは、私たちお馴染みの寄り道コースだった。

阿修「なににしようかな……いつも通りベリーベリーイチゴミルククレープにするか……いやっ、今日こそピスタチオストロベリーチョコにしてみるか……あーでもでも、スペシャルチョコバナナミックスも捨てがたい!!」
「期間限定で生チョコストロベリークレープもあるよ」
阿修「ウワァーーー! 誘惑が多すぎる!! ちゃん、僕を迷わせようとしてるでしょ???!!!」
「ふふふ、バレた?」

悠太くんは、笑ったり困ったり、時々眉間に皺を寄せて、文字通り百面相をして悩んでいる。

阿修「うーーーーーーーーーーーーーん……よし!!! 決めた!! 今日はストロベリーチーズキャラメルマキアートアイスにする!!」
「おお、なんか呪文みたいだね」
阿修「確かに!! きっと美味しい魔法がかかってるんだよ!」
「間違いないね」

(私は何にしようかな……?)

「スペシャルチョコバナナミックスに、カスタードクリームを追加トッピングでお願いします!」

悠太くんが最後まで迷っていたクレープにする。

阿修「あー! カスタードも追加したら絶対美味しいに決まってる!!」
「ふふふ。1人で食べるの大変だから、悠太くんも少し食べてくれる?」
阿修「え、いいの!?」
「もちろん」
阿修「ちゃんは優しいなあ、ホント」
「悠太くんがいつも優しいからだよ」
阿修「それはちゃんが……って、これじゃあずっとお返しのお返しになっちゃうね?」
「あはは、本当だね」

結局、一口ずつクレープを交換することになった。

「ベリーベリーイチゴミルクにクリームチーズを追加でトッピングしてください」

これは悠太くんがいつも注文する定番メニューだ。

(後からこれも食べたくなるのが悠太くんなんだよね)

阿修「あ、僕がいつも頼むメニュー!!」
「そうだよ。それでいっつも『やっぱりこれも食べたくなった〜〜!』っていうやつ」
阿修「あはは、ちゃんはなんでもお見通しだ!」

そんな笑顔を見て嬉しくなる。

「一口あげるね」
阿修「わーーーい! やったーーーー! ちゃん大好き!! 僕のもあげるから交換しよ!!」
「うん!」

気軽に分け合える、この関係がとても心地いい。

クレープを食べ終わって、いつも通りの帰り道を歩いていると、寂れた掲示板に夏祭りのポスターを見かける。

「これ……去年のポスターがそのままになってるみたい」
阿修「今年もあるのかな?」
「毎年やってるから、あるんじゃない?」
阿修「やったーーー! 一緒に行こうね!」
「去年は何月にやってたんだっけ……?」

日に焼けて薄くなってしまったポスターの文字を追う。

(9月…………)

どうしても頭によぎるのは、 HKBの存在。

「……」
阿修「ちゃん?」
「あ、ごめん。なんでもないよ」
阿修「……。あのね、あんまり気負わないでほしいんだ!!」
「うん……でも9月には結果が出るなって――」
阿修「どんな結果でも、ちゃんと僕が親友っていうのは変わらないでしょ?」
「それは、もちろん!」
阿修「でしょ!? だからいいの!! 9月、絶対に行こうね。はい、約束っ!!」

そう言って悠太くんは元気に小指を差し出してきた。

「……うん!」

私も自分の小指をからめる。

阿修「ゆーびきりげんまんっ、嘘ついたらクレープをおごることっ!!! 指切った!!!」
「クレープでいいの?」
阿修「だってだって、甘くて美味しくてサイッコーでしょ!?」
「そうだね」


――彼の優しさは、クレープの甘さ以上に心へと染み渡った。

(少し早めに着いちゃったな)

音済さんは美術部でモデルをする約束があるということで、それが終わる時間にコンピュータールームの前で待ち合わせていた。

音済「――待たせたか」

音済さんに声をかけられる。

「いえ、時間通り……むしろ少し早いくらいです」

その声は落ち着いたトーンで――それでいてなんだか、聴いているこちらの心がソワソワするような不思議な感覚がする。

音済「変わったことはないか?」
「え?」
音済「あれから、あんたがリリィだと疑われるようなことは?」
「あ、ないです。みなさんのおかげで……ありがとうございます」
音済「そうか。それはよかった」

音済さんはコンピュータールームの鍵を開けると、手前のテーブルに座ってパソコンを取り出した。
そしてすぐにHKBに関する雑談が書き込まれたサイトを開くと、その画面を私に向ける。

音済「いくつかのサイトを監視しているが、あんたに関する書き込みは今のところない。ダミーの人物に誘導しているのもあるが、現状はあんたに行き着く可能性は低いだろう」
「ありがとうございます」
音済「ただ安心するのはまだ早い。芸能でもよくあるだろう。出身地やプライベートな情報を探るようなまとめサイト。それにSNSでやたら業界に詳しい情報を発信しているアカウントが」
「ありますね……」
音済「いたずらに面白がって、リリィを探る人物は後を絶たない。見つかった端から俺たちで一掃する」

(簡単そうに言ってるけど、すごいことなんだよね)

その後も音済さんは、真っ黒な画面に英語や記号を打ち込んでは、いろいろなサイトを確認していた。
それを見ていると、今私にできることはなさそうに思える。

(でも何もしないわけにはいかないし)

そう思い、私もSNSで適当なキーワードで検索しながら、ネットの情報を収集することにした。
無言の時間が私たちの間を流れたあと、不意に音済さんから唐突な質問をされた。

音済「……俺たちが、怖いと思うか」
「え? えっと――」

「正直に言うと……すみません。少し怖かったです」

気まずいままに答えると、音済さんが少しだけふっと微笑んだ。

(笑った……!)

音済「素直に話す人物の方が信用できる。だから謝罪は必要ない。それにあんたが俺たちに初めて出会ったあの状況で、怖くない方がおかしい」
「……す、すみません」
音済「逆にあれはテストでもあった。無理に自分を良く見せようと取り繕う人物は、すぐにメンタルを崩す。つまり、最初の印象と今の受け答えで、俺はあんたを一先ず信用できると思った」
「……」

(音済さんも、率直にモノを言うタイプなんだな)

けれどまさにその明け透けな言葉で、私も彼を信用できるような気がした。
裏生徒会だと言って突然彼らが目の前に現れたときは、難しい駆け引きをする必要があるのではないかとひどく緊張した。

(でも、違ったのかも)

「ありがとうございます! 今後もよろしくお願いします!」
音済「……、感謝されるやりとりがあったか? 俺はあんたを試したのだが」
「むしろそれに関して、お礼を言ったつもりです」
音済「そうか」

「なんと言うか、その……“怖い”という感情に近い緊張をしていました」
音済「? それは具体的に言うと何だ?」
「そうですね。えっと、猛獣のいる檻の中に放り込まれた……みたいな感覚が近いです」
音済「ふ、言い得て妙だな」

(あ、笑った。こういう冗談が通じる方なんだ)

それに少しホッとした。

音済「あんたなら、なれるかもしれないな」
「なれる……??」
音済「あんた自身が己を“猛獣の中に放り込まれた人間”とそう表現するならば、猛獣使いになれる可能性があるんじゃないか」
「いや、それはさすがに……」

裏生徒会の面々を頭の中に思い浮かべて、小さく身震いした。

「その可能性はほぼないと思います。それに、音済さんは猛獣として扱われたいんですか……?」
音済「……そういう返しがくるとは」

音済さんは、キーボードを打つ手を止めて、こちらを向いた。
私もスマホを机に置いて、音済さんの方へと体を向ける。

音済「あんたは……いや、は面白いな」

(あ、初めて名前で呼んでもらった。すごく嬉しいかもしれない、妙な達成感というか)

「“面白い”というのは、いい意味に捉えても……?」
音済「もちろんだ。とても興味深い。リリィに選ばれる人間というのはどんな人物だろうと思っていたが、見応えがありそうだ」

(これは、一歩音済さんと近づけたと思っていいのかな……?)

音済「……」

私に向けられる視線に含まれているのは、好奇心か、それとも――

「よし、雑巾は絞り終わったから……あとはこれを干して――」
不動「僕も手伝うよ」

柔道部の練習が終わり、掃除用具を片付けていたところを明謙くんに声をかけられる。

「もう終わるから、あとは任せてもらって構わないよ」
不動「ううん、手伝う。……少し話したいし」
「うん、わかった」
不動「…………えっと、お、お好きな食べ物は?」
「あはは、どうして急に敬語なの?」
不動「だって! 緊張するじゃん!」

きっと、『HKBに向けて、私に好きになってもらう』というのを実行してくれているんだと思う。

「いろいろな試合で強い相手をたくさん倒してきた明謙くんが、私に?」
不動「だって今回は倒すんじゃなくて、好きだって思ってもらいたいから!」
「……っ」

真正面からそう言われると、さすがに私も照れてしまう。
けれど、柔道で正々堂々と試合に挑む彼の姿を見てきた身としては、とても明謙くんらしいと思う。

不動「やっぱり、僕が突然こんな感じで接したら戸惑うよね?」
「……戸惑うというか、ビックリはするかも」

それが今の私の、正直な気持ちだった。

不動「君にとって僕って、今までどんな存在だった?」
「唐突だね?」
不動「だって、試合の前には相手のことを知ることから始めるでしょ。……って、あ、あのっ! 試合みたいに倒すわけじゃないけど、スタンスとしては試合に似てるというか!」

必死に訂正する彼を見ていると、どうにも心が勝手にほぐれていく。
明謙くんには、そんな魅力がある。

「うん、伝わってる。強い意欲みたいなことだよね」
不動「そう! それ!」

(私にとって明謙くんは……)

「友人に近いのかな」
不動「友人?」
「そう。色々と相談に乗ってもらったり、逆に相談してもらったりしてるのもあって、親しい友人の1人って感覚がまず浮かんでくる」
不動「そっか」

明謙くんが何か考えるような様子を見せるので、私はもう少し言葉を補足したくて続けた。

「でももちろん、今回私がリリィになったってこともあって、しっかり向き合いたいって思ってる。みんなの熱い思いもこの前聞かせてもらったから」

“友人”というのは、変な線引きをしたわけじゃない。
明謙くんと私は学年が違うけれど、それでも近い存在だと伝えたかった。

(……私にとって本当に大事な1人だよ、って)

不動「すごく……、すごく嬉しいよ」
「え」
不動「だってさ、ただ部活が同じ人ってだけだったら悲しいもん! よかったぁ、友達だって思ってたのが僕だけじゃなくて!」
「……今の言葉を聞いて、私もホッとしちゃった」
不動「僕のほうこそだよ? それにさっき照れてくれたってことは、ただの友達じゃなくて、少しは意識してもらってるってことだもんね?」
「――……」

急にそんな胸の真ん中を突くようなことを言われて、うまく返答できなかった。

「頼れる先輩って感じかな」
不動「それだけ?」

もっと欲しいという彼の瞳を見ていたら、私も思っていたことをちゃんと伝えたくなる。

「明謙くんは誰よりも努力してて、それでいて驕ることもなく公平だと思う。
それは心が強くて優しい人じゃないとできないから、私はいつも見習いたいって思ってるよ」

(上手く伝えられたかな……)

不動「それはきっと、君が僕を魅力に思ってくれてることの一つなんだよね」
「はっきりそう言われると照れるけど、そういうことだと……思い、ます」
不動「あはは、今度は君が敬語になっちゃった」
「だって!」
不動「あはは!」

明謙くんがとても嬉しそうに笑っていて、私も自然と頬が緩んだ。

不動「実はね。HKBのために大見得を切ったはいいけど、どうしよう! って思ってたんだ」
「……」

確かに私を呼び出した日の4人は、情熱と勢いだけを頼りに説得をしにきていた。

不動「でも僕は君が大事で、君も僕を大事に思ってくれてるのが分かったから、あとはその気持ちを深めていけば良いってことだよね!」
「明謙くん……」
不動「好きになってもらうって簡単じゃないし、僕はやっぱり君の気持ちをまず一番に大事にしたい。だからちゃんが僕に思ってくれてるその気持ちを裏切らないように頑張るから」
「そこは全く心配してないよ、明謙くんだもん」
不動「ありがとう」

すると、明謙くんが照れくさそうに視線を逸らしながら。
けれど次の瞬間には意を決したように、私の瞳をじっと見た。

不動「じゃあまずは、今日一緒に帰ろう」

それが今日の彼にとっての一大決心だと思うと、私も心を込めて返事をしなければ。

「よろしくおねがいします」
不動「やったー!!」

――彼の快進撃は、まだ始まったばかりだった。

「……」
是国「……」

(……なんか、とても不思議な状況になっている……)

今、私の目の前には竜持くんが座っていて、英語の教科書とノートが広げられている。

放課後、竜持くんが一緒に帰ろうと声を掛けてくれたものの、図書室でテスト勉強をするつもりだったのでその旨を伝えた。

(そしたらあっさり『じゃあ僕も』って……)

是国「……僕の顔に何かついてる?」
「わっ、すみません」
是国「別に良いけど……明日のテストって古典?」
「はい。大黒先生のつくる問題、難しいんですよね」
是国「篤志先生、授業は穏やかで教え方も上手いけど、テストが鬼だってよく聞くよね」
「あはは、でも生徒を思ってのことだって分かるので、頑張らないと……って思ってます」
是国「ふーん」

図書室ということもあり、自然と囁くような声になる。
まさかこんななんてことない日常会話を竜持くんとするようになるなんて、夢にも思っていなかった。

(……本当に、不思議)

――リリィというのはこんなにも稀有な経験をもたらすものなのかと実感する。

「竜持くんは英語?」
是国「うん」

手元のノートは丁寧にまとめられていて、まだ知り合って間もないけれど、なんだか竜持くんらしいと感じた。

是国「……また。すごい見てくる」
「ノート、綺麗だなと思って」
是国「これくらい普通――あっ」
「!」

竜持くんの手からペンが落ち、机の下に転がっていった。

是国「あーもう……」
「あ、こっちにある。私拾います」

私の足元まで転がってきたペンは、何かのブランドなのか素敵なデザインだった。

「はい、どうぞ」
是国「……ありがと」
「すごく可愛いですね。シンプルなデザインだけど、色合いがオシャレというか」
是国「! ……これ、好きなブランドの。洋服がメインなんだけどステーショナリーもたまに売ってて」
「へえ、竜持くんにぴったりです」

そう伝えると、照れくささを隠すような微笑みを向けられて少しだけドキッとする。
普段のツンとした、どこか大人びた表情をする彼に、こんな愛らしい一面があるなんて。

(これも、リリィになったから知れたことなんだ)

「! 落ちちゃいました?」
是国「……先輩の方に転がってっちゃった」
「あ、ありました。拾いますね」

ペンは私の足元に転がっていた。

「はい、どうぞ」
是国「ありがと――あっ」
「わっ」

ペンを手渡そうとした瞬間、再び手から滑り落ちそうになって慌てて握り直す。
同じように竜持くんもキャッチしようとして――

(……手が)

竜持くんの両手に挟まれてしまった。

こんなふうに触れるのは初めてで、どうしたらいいのか思考が止まってしまう。

是国「……っ、ご、ごめん」
「こ、こちらこそ」

そんなハプニングもありつつ。
二度目の落下を免れたペンは、無事に持ち主のペンケースに戻って行った。

(勉強……してたはずなのに)

さっきの出来事のせいで、頭の片隅で竜持くんのことを意識してしまっている。

(だめだめ、集中……)

「テストで120点とる勢いで頑張らないと!」
是国「ふふ、テストはどうがんばっても100点満点が限界でしょ」

またそうやって向けらえた笑顔に、私の胸が小さく鳴る。

(……リリィになるって、なんだか恐ろしい)

そうやって言い訳をしてみるけれど、どこかでそうじゃないこともわかっている。

是国「なんだか耳が赤くない?」
「テスト勉強に気合をいれてるところ……ってことにしてもらってもいいですか?」

彼のことを考えたら、言い訳が積み重なってしまいそうで。

けれどもう少し、その答え合わせだけは先延ばしにさせてほしい。
そう思いながら、私は再び教科書に向き直った。

『俺たちに協力、してくれるよね?』

――あの言葉の意味を、私は軽く考えていたんじゃないかと思う。

(……どうしてこうなったんだろう)

HKBに向けて愛染さんと協力関係を結ぶことになり、今日も昼休みに軽音楽部の部室にお邪魔していた。

愛染「ちゃん、待ってたよ」
「お約束した覚えが全く……」
愛染「最近毎日会ってるでしょ? もうそれって約束してるのと同然かなって思って」

そう。愛染さんは悠太くんもびっくりするくらい、部室によく顔を出すようになった。
素敵な笑顔で微笑まれたら、一瞬だけ約束していた可能性を考えないわけではない。

愛染「最近学校の近くにできたカフェ、知ってる?」

とても自然に、そして恭しく椅子を引かれて、愛染さんと相席をする。

「はい、サンドイッチがすごく美味しいって評判ですよね。ただ、いつも混んでいるのでまだ食べたことはないです」
愛染「だと思った。はい」

愛染さんから手渡されたのは、その話題のサンドイッチだった。

「え、いただけません……! 愛染さんのランチですよね」
愛染「ううん、俺はいいから」
「じゃあせめて、私のと交換しますか? 購買で買ったパンで恐縮なんですけど……」

釣り合うとは思えないけれど、おずおずと差し出す。
けれど愛染さんは首を横に振って、サンドイッチを私の膝の上に置いた。

「この前も美味しいハーブティーをいただいたばかりで」

それだけじゃない、愛染さんがイメージモデルを務めるフェイスパックをもらったりしたこともある。
通り雨に降られたときはタオルを貸してもらったり、そんな優しさを受け取ったのは短期間でも数が知れない。

愛染「俺がしたくてしてるだけだから。ちゃんがそれを笑顔で受け取ってくれたら十分なんだけど?」
「……」

けれどそれに納得していない私の気持ちを感じたのか、眉を少し下げて困ったように微笑んだ。

愛染「それじゃあさ。俺が少し休む間、膝を貸して?」
「え……膝……ですか?」

「わ、わかりました」

よく見ると、愛染さんの表情には心なしか疲労が滲んでいる。
それにこの部屋には手頃な枕もない。

愛染「え、いいの?」
「はい、これがお返しになるとは思えないんですけど、それでもよければ」
愛染「……はぁ……意識されてないな、これは」

愛染さんが何かを呟いた気がするけれど、それもため息にかき消された。

愛染「HKBの候補者である俺を、もっと意識して欲しいんだけど?」
「え、そ、そういうことだったんですか……?!」
愛染「少しも考えてなかった?」
「す、すみません……」
愛染「ははっ、まあ俺は女性には親切だけど、ちゃんにはとびきり特別に接してきたつもり」

そんな話を聞いた後に膝枕をしなくてはならないなんて。
私は安易に了承したことを後悔した。

これまで親切にしてくれた愛染さんを思うと、膝枕というハードルが高い行為だとしても了承すべきではないかと思う。

(でも、万が一誰かに見られたら……)

「私も愛染さんも、生きて帰れますか……?」
愛染「え、なんの話?」

――事情を説明すると、愛染さんは涙を滲ませながら笑ってくれた。

愛染「なるほどね、まあ確かにスキャンダルは良くないか」
「なのでそれ以外ならなんでもします」
愛染「ちゃん、冗談だから。膝枕はしなくていいよ」

その言葉にほっと胸を撫で下ろすも……

愛染「“なんでもします”か」

私は安易なことを言ってしまったのではないかと、身を固くした。

昼休みもあと少しで終わりになり、私も愛染さんも教室に戻る準備を始めた。

愛染「……俺とちゃんが同じクラスだったら、もっと一緒にいられるのに」
「ありがとうございます」
愛染「響いてない? もっとちゃんが俺に夢中になってくれる方法を考えないと」

そう話す愛染さんの表情はにっこりとしているけれど、声色は真面目だった。

(なんだか前よりも、言葉選びが直接的になったような気がする……)

昔から“ただより怖いものはない”とよく言うけれど、私は無意識のうちに愛染さんの甘い誘いに吸い寄せられた蝶みたいだ。

――そして、

愛染「興味って怖いな……」

そんな愛染さんの言葉の意味を知るのは、もう少し未来の話だ。

――裏生徒会の一員になって、ペアをお願いしたのは暉くん。
情報収集が得意という彼と今一緒におこなっているのは、

王茶利「ではでは王茶利くんプレゼンツ、名月高等学校冒険ツアーにレッツゴー!!」
「……」
王茶利「ほらほらチャンも一緒に言って? レッツ?」
「ゴー?」
王茶利「イェーイ!!!」

(これはなんだろう……?)

HKBやリリィに関することを調べるのかと思いきや、二人で校内を探索している状況だ。

王茶利「ではでは保健室の前を通りまーす! 最近この時間になると、保健の先生は紅茶を飲むのにハマってるみたいで、たまに寄り道するとお菓子くれるよ!」
「そうなんだ。確かにいい香りがする」
王茶利「あとあと、もう少し行った先の空き教室の窓から覗くと、たまに野良猫がいるんだよね〜。でね、たまにピーちゃんが会話してるの」
「あはは、音済さんって何者なの……?」

ただ慣れ親しんだ場所を歩いているだけ。

(でも、この先で暉くんがどんな話をしてくれるかが気になる……)

それが、リリィとして抱えていた漠然とした不安を和らげてくれた。

「暉くんって、すごいね」
王茶利「えっ、なになに?! オレなにかした?」
「うん、してくれてる」
王茶利「よくわかんないけど褒められるのは嬉しい! よーし! 次はどこ行こうか!」

照れ隠しなのか、暉くんは大袈裟にスキップしながら左右を指差す。

(新校舎の方か、旧校舎の方か……どうしようかな)

新校舎を選ぶと、暉くんは「お目が高い!」と上機嫌で先導してくれる。その理由は……

王茶利「じゃじゃん、チャンが好きなジュースが売られている販売機がありまっす! これ、好きでしょ?」
「暉くん、知ってたんだ」
王茶利「当たり前じゃん、同じクラスだよ? チャンがニコニコ楽しそうに話してたら『どんな話かな?』って気になるっしょ?」

暉くんは得意げに販売機へとスマホをかざしてジュースを買ってくれた。

王茶利「オレからの差し入れってことで、はいどうぞ」
「いいの?」
王茶利「もちろん! ここ最近落ち着かなかっただろうし、ジュースでほっと一息ついて、ね?」

(この探検だけでも十分ありがたいのに)

お礼を言って缶ジュースを受け取ると、暉くんの手が熱くて――

明るく朗らかな言葉の裏で、彼も緊張しているのが伝わってきた。

旧校舎を選ぶと、暉くんは少しだけ緊張した様子で歩き出した。

王茶利「ここって……」
男子生徒「好きです! 付き合ってください」
女子生徒「……はい、お願いします」
王茶利「んええええ!?!?」

告白の現場に遭遇してしまって、私と暉くんは足を止める。

王茶利「どどどどうしよう!?」
「おめでとうってムードで通り過ぎよう」
王茶利「お、おめでとうございます……」
「暉くん……声には出さなくてもいいかも」

甘酸っぱい雰囲気の二人の横を通り過ぎて、すぐ近くの角を曲がってすぐ。
暉くんは照れたように鼻をかきながら口を開いた。

王茶利「こんな流れで紹介になっちゃったけど、あそこ、実は告白の定番スポットなんだよね」
「そうなの? 初めて知った」
王茶利「外壁がハート型に剥がれてて、いつの間にかそういう噂が広がったみたい!」

(さすが情報収集が得意なだけあるなあ。……あれ、でも)

「なんで私にこの場所を紹介したの?」
王茶利「ほら、オレだったらキミにここで――いや!? なんでもないから!? 忘れて!!」

暉くんが突然、壁にぶつかりそうな勢いで暴れ出す。
なんだかよくわからないまま、その姿を見て私も笑顔になった。

校内を一周すると、夕日が沈みかけていた。
校庭が見えるベンチに二人で並んで座ると、遠くにサッカー部の姿が見える。

「今日はありがとう。今日は……というか、いつもありがとうなんだけど」
王茶利「こちらこそ! もっとチャンと仲良くなりたいし、また冒険しよう!」
「うん、ぜひ」

そう答えると暉くんは顔をほころばせた。
夕日が綺麗に差し込んで、暉くんの表情に溶け込んでいく。

(裏生徒会に所属してるって知った時は、裏があるんじゃないかって疑ったけど……やっぱり優しい)

暉くんともっと仲良くなりたい。
いつの間にか、そんな気持ちが芽生えていた。

野目「今日はここでトレーニングだ」
「は、はい……」

屋内にあるトレーニングルームに付いていくと、たくさんの部員たちがすでに汗を流していた。

(野目さんとペアになるのが一番安心な気がしたんだけど、いろんな意味で正解な気がする)

野目さんはサッカーのスポーツ特待生ということで、日々の勉強に加えて放課後は部活に勤しんでいる。まさに文武両道の人だった。

野目「今日は雨で校庭が使えないからな、体育館が空くまで部員は各自トレーニングだ。も予定がなければここにいて良い」
「ありがとうございます」
野目「マネージャーとして部活見学って体裁にしてるから、何してても怪しまれない。好きに過ごしててくれ」

(好きに過ごす、か……)

そうは言われても、ここにいるのに体を動かす以外をしているのもおかしいだろうと思う。

「じゃあなにか、私も空いている器具でトレーニングでもしていようかと思います」
野目「……それなら、有酸素運動と無酸素運動を大事にしたほうがいい。それと、上半身だけじゃなくて下半身のトレーニングもするとバランスが取れる」
「バランスですか、なるほど」

キョロキョロと様々なトレーニングマシンを見回す私に、野目さんはわずかに微笑んで言った。

野目「身体を鍛えることは心を鍛えることでもある。今のお前に必要かもしれないな」
「……!」

野目さんに初めて会ったとき、口数が少なくて怖い印象だった。
それに、裏生徒会の人たちといるときも、みんなより一歩後ろにいて見守っていた。

けれどそれは関わらないというスタンスでもなんでもなくて、口に出さないだけでたくさんのことを考えてくれてのことだろう。

(だって、今日はたくさん話してくれてる。寂しくなくて、ありがたい)

そう思いながら私は……

(ついていきます、野目さん……!)

尊敬する気持ちを込めて、野目さんと同じメニューをしようと試みる。
軽い柔軟をして、いざチェストプレスに手を伸ばしたとき、野目さんが遠慮がちに私の肩を叩いた。

野目「やる気があるのは十分だが、急にやると体が驚くと思う」
「無知で申し訳ないんですが、何をするのがおすすめですか?」

「そうだな」と呟きながら、野目さんが誘導してくれたのはクロストレーナーだった。

野目「まずは全身運動をして体を温めた方がいい」
「有酸素運動……でしたっけ」
野目「ああ、よく知ってるな」

野目さんの言葉は心によく響いて、大したことをしていないのにとても褒められた気持ちになる。

野目「こういうのから徐々に慣らしていけ。それと同じで……まあ、なんだ」
「……?」

節目がちに少しだけ口籠った後、意を決したように野目さんが私と目を合わせる。

野目「この状況にも慣れないだろうが、少しずつでいい。無理に慣れるな」

――この人はどこまでも、私の心がこの状況に追いつくことを心配してくれていて。
体よりも先に、心が温かくなった。

厳つそうなトレーニングマシーンに向かっていくと、野目さんがやんわりと静止した。

野目「無理に器具を使わなくてもいい。例えばマットの方でストレッチとか」
「腹筋でもいいんですか?」
野目「ああ。やり方次第でかなり効果が見込める」

野目さんも自分のトレーニングがある中、私と並んでマットに座ってストレッチを教えてくれる。

「この肩のストレッチ、血流が良くなってる気がします」
野目「そうか。もう少しトレーニングに寄ったものだと、プランクは聞いたことあるか?」
「あります! お腹を鍛えるものですよね」

元気な声を出すと、野目さんは少しだけ目を細めて柔らかい表情をしてくれた。

(トレーニングの話、好きなのかな)

その後も「できることをできる範囲でやればいい」と、野目さんのマットトレーニング教室は続いた。

野目「……」

野目さんはずっと私の近くでトレーニングをしてくれている。

(これは単に部活へと誘ったわけじゃなくて、野目さんなりの励まし方だったのかな?)

そう思うくらいには、程よい距離感で常にそばにいてくれる。
リリィに決まったときは不安でいっぱいだったし、野目さんに契約書を出された時は恐怖を感じた。
けれど今は、前向きな気持ちが少しずつ大きくなっている。

(居心地がいいな。野目さんとペアでよかった)

そんな心持ちで、私はトレーニングを続けた。

「お待たせしました……!」
唯月「いえ、僕も今来たところです」

放課後。唯月くんと待ち合わせたのは、学校からそう遠くないところにあるオシャレなカフェだった。

唯月「日直だったんですよね。お疲れ様でした」
「大したことはなにも。日誌を書いてただけだから」

他愛もない話をしながらカフェの中へ入っていくと、奥のソファ席が空いていた。

唯月「あそこの席でもいいですか?」
「はい、大丈夫です」

最近の恋人たちは横並びに座ることも多い……と雑誌で読んだ。

これはHKBに向けてのデートで、お互いのことをもっとよく知るためのもの。
つまり、その席を選ぶのだってとても自然なことのはず。

「唯月くん、こんな素敵なお店を知ってるんですね。3Dラテアートって初めてで楽しみです」
唯月「……えっと、さんとデートするなら、こういうところがいいなって調べてたんです」

頬をほんのり赤く染めて、綺麗な長いまつ毛が伏せられる。
そんな表情を見たら、こちらも意識せずにはいられなくて……

(そうだった、これは私が彼らを好きになるためのデートなんだった)

私も頬に熱があつまっていく。
私は照れ隠しに、メニュー表を開いた。

「な、なんのアートにしましょうか……!」
唯月「色々な動物がいてかわいいですね」
「うーん……迷うけど、私はウサギにしようかな」
唯月「ウサギ、僕も好きな動物なので嬉しいです。……それじゃあ僕は、リスにします」

サンプルとして載っている写真の動物はどれもかわいくて、二人でニコニコと楽しみながら決めていく。

「……あ、ケーキもデザインがかわいい……」
唯月「ふふ、せっかくだから頼みませんか?」
「賛成です」

ありがたい提案に賛同して一緒にケーキも注文すると、程なくして店員さんが運んできた。

店員「お待たせしました」
「わあ……」

いつもなら写真を撮る前に食べてしまうことも多い。
けれど今日はこんなオシャレなところに唯月くんと一緒に来たんだから――

「……いい感じに並べて、っと」

ウサギの3Dラテアートとケーキを並べて、光が綺麗に当たるように角度を微調整する。

(よぅし、いい感じ)

そう思ってカメラを構えると、隣からそっと可愛いリスも仲間に入り込む。
ちらっと見ると唯月くんが指でカップを押していた。

唯月「リスも仲間に入りたいって言ってます。……なんて」
「うん、ぜひ仲間に入ってください」

(唯月くんって可愛いなあ)

そう言いたくなる気持ちを抑え込んで、シャッターボタンを押す。

「後で唯月くんにも写真を送りますね」
唯月「ありがとうございます。さんとJOINのやりとりができるなんて嬉しいです」

そんなことまで言ってくれるものだから、私は唯月くんといるとずっと穏やかな気持ちになる。

(気遣いが上手な子だな……)

早速食べようとフォークを持つと、唯月くんがそっと自分のケーキも私の方へと差し出してくれる。

唯月「まだ口をつけてないので、一口どうぞ」
「え、いいんですか?」
唯月「メニューを見てるとき、こっちと迷ってるみたいだったので」
「えっと、じゃあ一口ずつ交換にしましょう」

そう伝えると、唯月くんがパッと笑顔になる。
花が綻ぶような笑顔とはこのことかもしれない。

唯月「いただきます。……ん、美味しい」
「私もいただきます。わあ、甘さがちょうどいい」
唯月「ふふ、よかったです」

まるで自分のことのように唯月くんが喜んでくれて、胸の辺りがじんわりとポカポカする。
そんな私の気持ちに呼応するように、ラテアートのウサギもリスも楽しそうに揺れていた。

美味しいケーキにオシャレで可愛いラテアート。

(……こんな女子高生らしいことをしたのって、久しぶり)

部活漬けの日々だったこともあり、唯月くんと過ごす和やかな時間が心を癒していく。

「……また来たいな」
唯月「同じ気持ちです」

ついぽろりと溢れた私の本音に、唯月くんはすぐに重ねてくれる。
唯月「さんと行きたいところがまだまだあるんです」

(唯月くん……)

さんとデートするなら、こういうところがいいなって調べてたんです』
そう言っていた彼の言葉を思い出す。

「ぜひ、また唯月くんと一緒に行きたい」
唯月「……!」

唯月くんは再び笑顔を見せてくれて、スマホにブックマークしていたカフェを教えてくれる。
和スイーツのカフェやブックカフェ、動物と触れ合えるカフェまで魅力的なものがいっぱいだ。

私たちがこうなったのは、運命の悪戯みたいな突飛な事情だった。
けれど今思えば、とても幸運だったんじゃないかと思う。だって――

「次空いてるのは……」
唯月「あ、僕もスケジュールを見てみますね」

(唯月くんとの会話のテンポが心地いい……)

そんな気持ちが生まれていた。

(……あ!)

下校途中、繁華街を歩いているとよく知った制服が建物に入っていくのを見つける。

(あの後ろ姿……金城さん……だよね)

もし本当に金城さんだとしたら、悠太くんが探していたことを伝えなければ――
そう思って彼の後ろ姿を追うと、地下へと続く階段を降りていった。
上から地下を覗き込むと、薄暗さと相反するほど派手なデザインの看板が吊り下がっている。

「ここってもしかして、ライブハウス……?」

恐る恐る階段を降りて重厚な扉を開けてみると、カウンターには陽気な男性が座っていた。

男性「まだオープン前だよ……って、あれ? その制服ってもしかして剛士くんとこの……。へえ、なるほど。こっちおいで〜」

やけにニヤニヤとしながら、男性は自分をオーナーだと名乗って快くステージへと案内してくれる。
そして僅かなライトに照らされたステージの上では、金城さんがギターを弾いていた。

金城「……」

(わあ……)

怖くて大雑把な印象こそあったけれど、ギターを弾く姿はそれとは全く違う。
指先で優しく、時に強く弦に触れて、いい音が鳴ると少しだけ口角を上げて微笑んでいる。

(金城さんって――)

金城「オマエ、なんでいんだよ」
「す、すみません!」

音を楽しんでいた表情と打って変わって、鋭い視線が私に向けられる。

オーナー「ええ!? 剛士くんのコレじゃないの!?」
金城「古いんだよ、小指立てんな」

オーナーはそんな金城さんに慣れっこなのか、愉快に笑いながらカウンターがある入口の方へと戻っていった。

金城「それで。何の用だ」

「悠太くんが金城さんを探してたことを思い出して」
金城「ンなのJOINでもメールでもいいだろ」

(……確かに)

文明の利器に頼るという選択肢が抜け落ちていたことに気付き、自分に呆れる。

「あの……すみません……。急ぎの用事だったかもしれないと思って、つい……」
金城「それでオレについてくるとか、ストーカー予備軍だな」
「えっ、ストーカー……!?」
金城「“予備軍”、な」

呆れたように眉を下げながら、金城さんはポケットからスマホを取り出した。

金城「――確かに阿修からなんか来てんな」

表示された画面には『修二せんせいが探してたよ!?!?! 何したの!?』とメッセージが入っていた。
そして既読だけつけると金城さんは画面を閉じてしまう。

「返事は……」
金城「今したってしょうがねーだろ。もう学校にいねェんだから」
「それは……そうなんですけど」
金城「それより、ほら」
「?」
金城「JOIN、ID」

スマホを私に差し出して単語だけを並べられる。

「えっと、JOINを交換しておくということで合ってますか?」
金城「それ以外何があんだよ。さっさとしろ」

(……)

色々思うところはあるけれど飲み込んで、金城さんとJOINのフレンドになった。

金城「HKBに出る以上、連絡手段はあったほうがいいだろ」
「そうですね、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」
金城「ん」

今さっき既読だけつけて画面を閉じた彼と、私は連絡を取ることがあるのだろうか。

「言いづらいんですけど、帰り道でたまたま姿が見えたのでつい……」
金城「ストーカーかよ」

その不名誉なレッテルは剥がさないといけないと思い、ちゃんとした理由である【悠太くんが探していたこと】を伝える。

金城「そういやJOIN来てたな……。つかオマエの教えろ」

突如JOINの交換が始まり、お互いのIDを伝え合う。

金城「オマエ、お人よしだな」
「そんなことはないと思います。普通です、私にとっては」
金城「フツーじゃねーよ。それに阿修ばっかり贔屓してると、愛染が拗ねてめんどくせーから気をつけろよ」

(それってどういうこと……ああ、なるほど!)

「HKBに参加するなら、公平に皆さんと接したほうがいいですもんね。金城さんの言うとおりです、ありがとうございます」
金城「やっぱオマエ、フツーじゃねぇな」

鼻で笑いながら、でも不快よりは面白そうに笑ってくれたので、どうやら嫌われてはいないみたいだ。

「みなさんと仲良くさせてもらえるのは色々な意味で緊張しますけど、嬉しいです。今後ともよろしくお願いします」

その後は特に会話が弾むこともなく、ギターを弾く金城さんをただ眺めていた。

金城「……いつまでいるつもりだ」
「! そ、そうですよね。居座りすぎました、すぐ出ます……!」
金城「……はぁ。これやるから、時間になったら来い」
「え……」

差し出されたのは、一枚のチケット。今日の日付のものだ。

金城「時間になったらワンドリンク、入口でオーナーに金払えばコインがもらえる。バーカンでドリンクと引き換えろ」

(もしかして、ライブハウスのルールを教えてくれてる……?)

「あっ、メモ……メモします!」
金城「ンなの、頭で覚えろ」

『たいして難しくもねーだろ』と言っている金城さんは、やっぱり面白いものを見るような目をしていた。

言葉は少ないし、表情も怖い。けれど、面倒見がいい人。
それが、今日初めて知った彼の一面。

「金城さん――」

私の胸をじわじわとなにか温かいものが浸食していくのを感じた。

裏生徒会のことをよく知るには、会長を務める増長さんと行動するべき。
――そう考えて増長さんとペアを組むことにした。

(待ち合わせは……社会科準備室だったよね)

放課後、指定された教室に向かうと増長さんがすでに待っていた。

「お待たせしました」
増長「ううん、俺も今来たところだから」

増長さんはポケットから鍵を取り出すと、準備室の施錠を解く。

(……いち生徒が、どうして鍵を持ってるんだろう)

優秀な学生は、先生からの信頼も厚いのかもしれない。それとも、

「ここが裏生徒会の“サンクチュアリ”、ですか?」
増長「さあ、どうだろう」

意味深に微笑みながら増長さんが扉を引く。
中へ入るとそこは――特別な教室でも何でもなく、ごく普通の社会科準備室だった。

増長「ふふ、もったいぶったりしてごめんね。今はここを使ってる。でもそのうち変わるかもしれないし、変わらないかもしれない」
「私が初めてみなさんにお会いした場所とは別ですよね」
増長「そうだね。サンクチュアリの場所は不定だから」
「生徒がこんな自由に教室を使えるんでしょうか」

移動教室ばかりある校舎の、あまり使われていない準備室の鍵を、“都合よく”借りられるなんて出来すぎている。
私の質問に増長さんは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、ゆったりと細めた。

増長「……協力してくれる人がいるからね」

それがどんな人かはわからないけれど、校舎の鍵を自由に扱えるということは学校側の人間であることは間違いない。
そんな彼らの周囲の人間も含め、やはり裏生徒会は底が知れない存在だ。

増長「さて、じゃあさんにクイズでもしようか」

増長さんの手には1通の手紙。
おそらく私がそうしたように、裏生徒会に何らかの助けを求めるもの。

増長「どんな内容が書かれていると思う?」

(クイズとは言ってるけど……)

頭に過ったのは、初めて裏生徒会と対面した日に音済さんが言ったことだった。

『会長はこう言っているが、まだに関しては完全に信用したわけじゃない。監査期間を設ける意図だ』

(ちゃんと考えないと)

「生徒間のトラブルに関することでしょうか。学生にはつきものなので」
増長「いい着眼点だね。いじめに関する相談も実際多いよ」

その言葉を聞いてホッとする。

(少なくとも、大きく期待を外してはなさそう……)

増長「その中でも女子生徒に関することはさんの方がアドバンテージがあるから、そういうところで力を発揮してくれると嬉しい。……でも今回はそういう類じゃない」
「えっ」
増長「良い線いったと思った?」
「はい。掠ったかも、くらいには思ってました」
増長「当てて欲しかったわけじゃないから安心して。それと、何でも表情に出さないようにね。さんの素直で素敵なところだけど、裏生徒会のみんなはそういう機微に聡いから」

褒められたと思ったらピリッと背筋が伸びるような指摘をする。
この人の飴と鞭が絶妙で、緊張はいっこうに解けない。

増長「実際問題、生徒間のよくない噂や事件についてはデマも含め入ってくるんだ。そういうのは情報通の暉を中心に、裏掲示板やリア友同士のSNSを百や帝人が普段からチェックしてるから真偽が確かめやすい」
「そうなんですね」
増長「それに未成年はどうしたって未熟だから、綻びさえ見つければ突きやすいんだ」

話しながら、増長さんは長いまつ毛をそっと伏せる。
私はその表情を見て、脆さを知っているからこそ言える言葉だと、そう感じた。

「あるかどうか定かではないんですけど、先生たちの色々な噂もあったりするんじゃ……?」

おずおずそう答えると、増長さんはふっと笑みをこぼしながら頷いた。

増長「実際のところ、ある。あの先生がオンカジやってるだとか、誰と誰が付き合ってるらしいとか。それに深刻な暴力沙汰に関するものも」
「そんな相談も裏生徒会に集まるんですね」

警察ではなく、誰かもわからない裏生徒会に頼るというのが、今時の学生たちを表している気がする。

増長「そういう相談は学校自体のブランド力に関わるから、慎重に調べて上にあげるんだ」

(その“上”がきっと、増長さんが言ってた協力者……)

思っていたよりずっと、裏生徒会の組織図は複雑なのかもしれない。

増長「何だか真面目な話になっちゃったね。何か飲み物でも買いに行こうか」
「あの、お気遣いなく……!」
増長「じゃあ、俺の喉が渇いたってことで。一緒に行こう?」

困ったように笑う表情が柔らかい。
先ほどまで高校生とは思えない大人びたところばかり見ていたこともあり、唐突に高校生らしい顔をされて不意にときめく。

増長「近くに販売機があるけど……でもそれじゃあ味気ないよね。少し歩いたところにカフェがあるし、テイクアウトしに行こうか」
「あ、そのお店、私も知ってます。タピオカドリンクがあって美味しいんです」
増長「――わっ」

スマホでメニューを検索して増長さんに見せると、小さく飛び退いた。

(今の声、増長さんから出てたよね? え、え……?)

「もしかしてタピオカが苦手だったり……」

増長「少しだけ」
「カエルの卵みたいで?」
増長「言わないで、想像しちゃうから」
「あははっ」

――裏生徒会の会長には、とても可愛い一面があるみたいだ。

釈村「こちらが部室です」
「お邪魔します」

釈村さんとペアになった私は、漫画研究部の見学をさせてもらうことになった。
どんな雰囲気か想像がつかず緊張しながら入室すると、どの部員も静かに、けれども漫画だったら背中に大きな炎を立ち上らせていそうなほど、熱心に自身の作業に取り組んでいる。

(文化系の活動とはいっても、かなりストイックなんだ)

釈村「さんは棚にある漫画でもライトノベルでも、お好みのものを読んでいてくださいね」
「ありがとうございます」

釈村さんは部室の設備を簡単に説明した後、早速自分の作業に入った。
タブレットにキーボードを取り付けて、何かを書き始めている。

(確か……雑誌のコラムに寄稿してるって言ってたし、何かの原稿かな?)

その雑誌のことを調べてみたけれど、サブカルに関することであれば幅広く何でも掲載していた。
釈村さんのコラムもいくつか読んでみたけれど、漫画から時事問題に結びつけた内容もあり、エスプリに富んでいた。

(釈村さんって――)

「釈村さんはエンタメに幅広く詳しいんですね。雑誌、読ませていただきました」
釈村「それは嬉しいです!」

タブレットから顔を上げた釈村さんから、満面の笑みが向けられる。

釈村「エンタメというのは素晴らしいものなんです。例えば数学と料理を掛け合わせた作品に触れれば、数学の先生や数学部の方との会話に繋がることもあるんです」

釈村さんの瞳に、何か火が灯ったように煌めく。
そして机の引き出しからいくつかの漫画を取り出すと、私の前に一冊ずつ並べて道を作っていった。

釈村「エンタメと一言で言っても、誰かとの架け橋になることもあるんです。……あるいは強みになります」
「強み……?」
釈村「ペンは剣より強しと言いますが、まさに僕にとってエンタメから広がる知識がそうなんです。コラムのような光栄な仕事をいただいたり、あなたと今こうやって会話するきっかけになる。これは“強み”と言えませんか?」

釈村さんが一冊ずつ並べてくれた漫画は、どれも面白そうだった。
私はそのうちの一冊を手に取る。

釈村「おお、お目が高い。それは最近のお気に入りなんです」
「そうなんですね、おすすめポイントを伺っても?」
釈村「もちろんです。これは地学が題材となっていて――」

釈村さんは、柔和な人柄の中に確固たる芯がある人。
知性を相手に振りかざすのではなく、それを使って人と人を結びつけることができる人。

(素敵だな、見習いたい)

そんな印象を抱きながら、漫画トークに聞き入った。

「釈村さんは文才もあるんですね」

そう伝えると、釈村さんは照れながら困ったような表情をした。

釈村「そう言っていただけるのはとても嬉しいです。そう見えたということなので、とてもありがたいです。ただ文章は基本的な部分が押さえられれば誰でも書けます」

(謙遜かな? ……本当にすごいと思ったんだけど)

釈村「――実は、僕は自分自身に文才があるとは思っていないんです」
「ええっ!? とっても素晴らしかったです。わかりやすい言葉で面白く書かれてるコラム、夢中で読みました!」
釈村「それは良かったです。編集の方に伝えておきます。文章は先ほども言ったように、誰でも書けるんです。なのでプラスアルファ必要なものがあると思うんです。才能じゃなければ……例えば情熱、マニアックさ、愛情」

確かに釈村さんのコラムを読んでいると、その分野に対する知識、あるいは綿密な取材が必要なのだろうと感じた。

釈村「先ほどあげたものは精神論なので、もう少し具体的に言えば、締切の中で求められたものを書く技術も挙げられます。良いものを書いても締切から1年経ちました、ではダメですからね。……大御所ならありかもしれませんが」

(さらっと説明してくれたけど、でも釈村さんは常にそれを意識してお仕事をしてるってことなんだろうな)

「文才だなんて簡単に言ってしまってすみません。釈村さんのすごさのひとつは、努力にあるのかもしれないって思いました」
釈村「はは、冷静に分析されると恥ずかしいものがありますね。それに僕の場合は心のどこかで、自分の武器になるものを持っていたいのかもしれません」
「あの、コラムについて幾つか聞いてもいいですか? 作業の邪魔にならなければ……」
釈村「ぜひ! さあさあ、何でもどうぞ」

そう言いながら、釈村さんはタブレット端末に優しく触れる。
画面にはたくさんの資料らしきものが映されていた。

私はそこに、彼の真面目さを感じずにはいられなかった。

気が付けば釈村さんと随分話し込んでしまっていた。

「あ、けっこう時間が経ってましたね。お邪魔してしまってすみません……」
釈村「いえ、まずはさんとたくさん話して色々知りたいと思っていたところだったんです」
「それなら良かった、ありがとうございます。釈村さんにおすすめしてもらったもの、今から読んでみますね」

すると釈村さんが頬を少し掻きながら、ゆっくりと口を開いた。

釈村「今日はあなたと親しくなれた気がしたので、釈村さんではなく帝人と呼んでください。もちろん無理にとは言いませんが!」
「えっと……それじゃあ、帝人さんで」
釈村「はい。……では、この後はぜひ読書に励んでくださいね。それで、『これは良い! トゥンク!』と思ったことがあれば、いつでも共有してください」
「ふふ、はい。すぐ声をかけます」

(トゥンクって、なんだろう。あとで聞いてみよう)

面白くて真面目で、そして接しやすい彼の魅力に、いつのまにか楽しさで心が満たされていた。

遙日「おっ、ここだここだ!」

遙日くんとやってきたのは、不思議の国のアリスをモチーフにしたカフェ。
オーナーと知り合いだという遙日くんがプレオープンにご招待されたということで、一緒に行こうと誘ってもらったという経緯だ。

遙日「内装もチョーかわいい! 本当に絵本の世界に入っちゃったみたい!」
「本当ですね、テーマパークに来たみたいに高級感もあって」

トランプ兵になった気持ちを味わえそうな席や、有名なお茶会シーンを彷彿とさせるテーブルもあって、見ているだけでもまず楽しい。
人を避けながら写真に収めていくと、フォルダの中はすっかりカフェの様子でいっぱいだ。

遙日「楽しんでもらえて良かった〜〜!! 女の子と行くならどこが良いかなって悩んでたんだけど、こういうところはハズレないよねっ♪」
「遙日くん、さすがです!」
遙日「……あ、えっと……ちゃんとと行くなら! って考えたからね? 女の子といっつもこういうデートしてるわけじゃないから……!」
「ふふ、わかった。そういうことにしておきます」

(遙日くんがとってもモテるのは知ってるから、慣れてるんだろうなとは思ってたんだよね)

遙日「うう……信じてもらえてない気がする〜〜」

大げさに項垂れる遙日くんに、絵本のようなデザインのメニュー表を広げて見せる。

「何を頼みましょうか」
遙日「やった、一緒に考えよ!」

遙日くんと悩みに悩み、注文したのは物語に登場するキャラクターをイメージしたパスタ。
運ばれてきたものは色味も華やかで、コンセプトカフェらしいキャッチーさに溢れている。

遙日「これ、映えメニューらしいから写真撮ろう?」
「あ、そうですね。食べる前に記念撮影を――」

テーブルの真ん中にパスタを移動すると、遙日くんに「違うよ」と静止される。

「うん?」
遙日「あははっ、パスタだけじゃなくて、一緒にオレたちも映るんだよ!?」

遙日くんは私にパスタのお皿を持たせた後、椅子を2つ近づけた。
そしてスマホをインカメにすると慣れた手つきで私の隣に腰掛ける。

遙日「じゃあ撮るね、3、2……」

(1……)

カウントが0になる瞬間。
笑顔になる息遣いが遙日くんの方から聞こえたと思ったら、頬が近づく。
人の体温が近くに感じられるけれど、当の本人は照れる感じも一切ないほど自然で。

遙日「わ、チョー良い感じに撮れたよ! あとでJOINに送るね!」
「……ありがとう、ございます」

さっきまで、あんなに無邪気にはしゃいでたのに。
写真を撮る瞬間に詰められた距離を思い出すと、カッと頬が熱くなる。

(す、末恐ろしい子だ……)

かわいい笑顔とはうらはらに、こちらがぼやっとしてると知らぬ間に距離が詰められている。
その天性の才に、動揺してしまった。

注文したのは、ふたりで「かわいい!」と意見が一致したもの。
まるでお花畑のようなサラダが運ばれてくる。

遙日「メニューの写真の通り、めっちゃお花畑!」
「すごい! 食べちゃうのが勿体無い気持ちになりますね」
遙日「頼んで大正解!」

ふたりとも、写真を撮る手が止まらない。

遙日「他にも色々メニューがあったし、どれも美味しそうだったなあ〜」
「そうですね。もしお腹に余裕があったら、他のメニューも頼みましょう」
遙日「うん、賛成! でもアヒージョとかブルスケッタとかは、ワインとかのお酒と一緒のほうが合いそうだよね」
「……」

(随分、大人びたことを……)

遙日「あっ!? なんかカッコつけちゃったけど違うからね? オレたまにライブハウスに行ってて、大人がそういう話してるのをよく聞いてるから!」
「あ、そういうことなんだ。安心しました」
遙日「良かったぁ〜……。悪いことしてるって思われたらショックだもん」
「あはは、疑ってないですよ?」
遙日「うん、ありがとう。大人の話を聞いてると、お酒飲んで話すのって楽しそうなんだよね。いつかキミとお酒も飲みたいし、大人になるまで仲良くしてね」
「もちろん。こうやって仲良くなれたのに、高校だけで終わるのは寂しいから」

そう伝えると、遙日くんは嬉しそうにジュースを一口飲んで、小さく呟いた。

遙日「……その頃には、恋人だったらいいなあ」
「遙日くん?」
遙日「ううん、何でもない。さっそくサラダ食べよ!!」

その後もカフェの素敵な内装をバックに写真を撮ったり、メニューを追加注文してプレオープンを満喫した。

(遙日くんって、自分からどんどん話してくれるから助かるなあ)

けれど、時折見せる大人びた表情や会話の内容を聞いていると、一筋縄じゃいかない子だとも思う。

遙日「、次あっちの女王様の椅子で写真撮ろー! 唯月に送りたいんだ」
「うん、そうしよう」

色々な側面を持つ子。きっと持っている魅力は光だけじゃない。
そんなことを、この短い時間だけでも十分に感じた。

「これが有名な“グリーンバック”」

撮影スタジオは一般人の私には珍しい設備ばかりで、目に入る全てが新鮮に映っていた。
一方、弥勒くんはというと、慣れた様子でカメラリハーサルをしている。

(すごく場違いで申し訳ないな。でもこんな貴重な経験、一生で一度あるかどうか……)

もともと私と弥勒くんのふたりは、放課後にブックカフェに行く予定を立てていた。
けれど一緒にカフェへと向かっている途中、弥勒くんのスマホに着信が入った。

『気にしないで出てください。電話ってことは急用かもしれないし』
殿『すみません、ありがとうございます』

電話に出た弥勒くんは、すぐに焦ったような表情へと変わる。

殿『え、撮影は週末じゃ……はい、わかりました。向かいます』

弥勒くんのご実家は、日本でも高いシェアを占めるスポーツメーカーで、彼自身も広告モデルを務めている。電話口から聞こえる単語から、何かご実家絡みではないかと推測できた。

『ご実家から?』
殿『はい、撮影の予定が早まったという連絡でした。何でもカメラマンが来週海外に飛ぶことになって、今日しか空きがないようで』
『わかった。出掛けるのはまた別の日にしましょう。タクシーを拾って今すぐにでも――』
殿『あんたも一緒に来てください。今日は俺と、ふたりの時間ですよね』

――その意志の強さに気圧されて、ここまで付いてきてしまったけれど。

(部外者なのにいいのかな……)

そのうち本番になり、最新のスポーツウェアを身に纏った弥勒くんがカメラマンの要望に応えている。
シャッターが何度も切られ、1秒ごと違うポーズや雰囲気を出す様子はまさしくプロフェッショナルだと感じる。

(年下とは思えない表情、貫禄かな?)

十数分後、一旦休憩を挟むことになり、弥勒くんが私の座っている場所まで歩いてきた。

「お疲れ様です」
殿「お疲れ様です。あの、ケータリングとか遠慮せず食べてください」
「ありがとうございます、いただいてます。むしろ弥勒くんこそ休んでくださいね」

弥勒くんは設置されているテーブルから、常温の水が入ったペットボトルを取る。

殿「……あの、見ていてどうでしたか? 第三者の意見が欲しいです」

「弥勒くんがポーズをとってるのを見てたら、スポーツウェアがどんどん魅力的に見えました」
殿「……そうですか。良かったです」

いつもクールな弥勒くんの表情が、途端に柔らかくなる。
それは紛れもなく16歳らしい姿だった。

殿「これはあくまでもウェアの広告で、自分の写真集じゃありません。だから“俺”じゃなくてウェアの良さを引き出したいと常に考えているんです」
「ワインでいうとマリアージュみたいな?」
殿「ワイン? マリアージュ?」

(…………あ)

「お互いまだ飲めないから、例えとして相応しくなかったですね。しかも絶妙に合ってないし……すみません」
殿「ふっ、いえ。緊張がほぐれました。ありがとうございます」
「えっと、それはとても良かったです」

全然緊張をしているようには思えなかったけれど、少しでも彼のためになったなら、ここにきた意味があったと思う。

「カメラマンさんの要望に瞬時に応えていて、とにかくすごかったです!」
殿「そう見えていたなら嬉しいです」

弥勒くんは安堵したのか、ペットボトルに口をつけた。

殿「俺は自分なりに製品の良さを理解して撮影に挑みます。それと同じく、カメラマンもカメラマンなりに“どう見せたいか”を考えてるはず」
「……」
殿「なので撮影時は言葉を多く交わさずとも、カメラマンの要望と自分の考えを混ぜながら、秒単位で答えを出力する能力がこの仕事には必要だと思っています」

改めて聞いていても、彼は本当にすごい仕事をしているのだと思う。
なにより、そういう真摯な考えを持って彼がモデルをしているということに、私は深く感心した。

スタッフ「5分前でーす」

スタッフが掛け声をして、まもなく撮影再開することを伝えてまわる。
弥勒くんは大きく伸びをして、軽くアップを始めた。

殿「この後も頑張るので、見ていて欲しいです。に」
「……!」

弥勒くんはまた、強い気持ちを込めたような瞳でこちらを見つめる。
言葉は多くないけれど、“それ”はちゃんと伝わってくる。

(――彼も、HKBに真剣なんだ。それに、リリィに本気で好意を抱かせようと考えてる)

殿「ブックカフェは後日リベンジしましょう。絶対に」
「はい」

この時間の中で十分以上に、私は彼の素敵なところを知ってしまった。