ようこそ、リリィ。
お待ちしておりました。
こちらにご署名をお願いいたします。

2025.5.9 Update!!

「(風、ちょっと強いなぁ……)」

崩れた前髪を手で直しながらいつもと変わらない通学路を歩く。
なにひとつ、変わらない日常。
けれどそれは平穏のしるし。
私にとっての愛すべき1日がはじまる。そう思っていたのに――

ピコンと軽快な通知音が鳴りスマホ画面を見ると、知らないアカウントから1通のメッセージがJOINに届いていた。

「誰からだろう……“HKB”?」

見覚えのないアカウント名に不審に思いながらもメッセージを開く。

『はじめまして。
厳選なる選考の結果、あなたが《リリィ》に選ばれました。』

画面を見て思考が止まる。

「待って、リリィ……?」

もちろん、そう呼ばれる存在があることは知っている。
けれど、あり得ない。
平々凡々な日常の延長線上にあっていい出来事じゃない。
頭の中でぐるぐると混乱が渦巻くなか、学校へ向かう足を止めるわけにはいかず、なんとか平常心を保ちながら歩いていく。
見慣れた校舎にほっと安堵したのも束の間で、下駄箱を開けると――

「……?」

中に入っていたのは、百合の花が刻印された綺麗なカード。
そこにはしっかりと“Handsome King Battle”と書かれていた。

“Handsome King Battle”――通称HKB(エイチケービー)。
日本で最もハンサムな高校生、HK(ハンサムキング)を決める戦い。

選ばれた者だけが真のハンサムとしての称号を得て、誰もが憧れるロイヤルスイートライフを未来永劫おくることができる。
そんなHKBの“運命の鍵”を握るのは、毎年唯一選ばれる“リリィ”の存在。
リリィが投票する1票は、HKBのランキングに毎回大きな影響を与える。

「本当に、私が今年のリリィなの……?」

目の前にあるカードを恐る恐る手に取る。
たった今、この瞬間から。
私の日常はおそらく“非日常”に変わるのだ……

あなたの通っている高校は?

「……!」

チャイムの音で意識が浮上する。
このあとは昼休みだ。
いつもなら購買で大好きなパンを買ったり食堂に行ったりしたいところだけれど、頭の中はリリィとHKBのことでいっぱいで、それどころではなかった。
そんな不安に追い討ちをかけるように、教室内に突如黄色い歓声が響く。

北門「ちゃんはいる?」

女子たちの浮き立つ声に混じって、私の名前が呼ばれたのが聞こえた。
伏せていた顔を上げて扉の方を見ると、HKBの候補者である北門先輩が立ってこちらを見ていて目が合う。

北門「よかった、教室にいてくれて。昼休みに何か予定はある?」
「いえ、特に予定はありませんが……」
北門「ふふ、そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。少しいいかな? 話したいんだ」
「……はい」

(警戒は、しますよ……?)

2年の教室に別の学年の人が訪ねて来るなんてただでさえ珍しいのに、その相手が北門倫毘沙先輩となれば注目の的になるのは避けられない。
私が通う帝園高等学校は、日本全国から大企業や資産家の御曹司や令嬢が多く通っている。
その中でも北門先輩は生徒会長でもあり、ご実家は世界中で高級ホテルリゾートを経営する大企業・NORTH RICHEST。
お家柄も超エリートの御曹司だ。

(正直、私みたいな一般枠で入る生徒が、気軽に会話できるような人じゃない)

現に良家出身である生粋のお嬢様方が、我先にと北門先輩に話しかけている。

女子生徒1「倫毘沙先輩、今度の休暇は先輩のお父様が経営されているバリのホテルに行く予定なんです」
北門「そうなんだ。良い旅になることを願ってるよ。バリならリラクゼーション施設も充実してるから、楽しんでね」
女子生徒2「あのっ、私もオアフ島のホテルに滞在予定でして」
北門「ああ、俺も久しぶりに行きたいな。あそこは海が綺麗なんだ。ゆっくりとテラスで過ごすのがおすすめだよ」

受け答えも実にスマートだ。

北門「ちゃん、それじゃあ行こうか」
「えっと、どちらに?」
北門「それはお楽しみってことで」

笑顔が眩しい。
けれどそれとは対照的に私の心は曇っている。

(……不安すぎる)

北門先輩から1メートルほど後ろをついて歩いていく。
廊下ではたくさんの女子生徒に話しかけられていて、改めてその人気を肌で感じていた。

(やっぱり、私がリリィなんてなにかの間違いじゃないかな。
だって、身分が違いすぎる……)

案内されたのは一般生徒が立ち入る機会が滅多にない、中庭にあるガゼボだった。
そしてそこにもう一人いたのは……

北門「竜持、お待たせ」
是国「おそーい! 予定の時間から5分遅れてる」

これまた学校では有名人であり、北門さんと同じくHKBの候補者の是国竜持くん。
学年は私の一つ下ながら、ご実家は老舗のお菓子メーカーであり、副会長として学校運営を支えている。

是国「どうせトモのことだから、女子たちに話しかけられて足止めでもされてたんでしょ」
北門「なんでもお見通しだね。みんなから色々と素敵な報告を聞いてたんだ」
是国「ホント、お人好しなんだから」

2人の仲が良いことは会話を聞いていればよくわかる。

(たしか幼馴染なんだっけ……?)

是国「そこの人も、突っ立ってないでこっち来なよ」
「……はい、失礼します」
北門「ちゃんだよ」
是国「へえ、あなたが。よろしく、リリィ」

大きな瞳にじっと見つめられ、思わず怯んでしまう。

(全てを見透かされそうな視線……)

けれど私の強張った表情を見てか、小さなため息をひとつ吐くと気遣うような声色で席に着くように促された。

是国「これ、食べて」
北門「竜持のご実家のお菓子だね。あ、これって新作?」
是国「そう、トモも好きだと思う。ほら、も。あ、一応先輩って付けたほうがいい?」
「どちらでも、大丈夫です……」
是国「そんな怯えないでよ。賄賂とかでもないからフツーにどうぞ」

上品なお皿に乗せられていたのは、まるでそこに花畑でもあるかのように美しい生菓子だった。

「いただきます……!」
北門「美味しいでしょう?」
「はい、すごく。おいしいです」
北門「竜持、よかったね」
是国「ま、当然だけどね」

そう言いながらも、笑った竜持くんは本当に嬉しそうで、少しだけ緊張がほぐれる。

北門「早速で申し訳ないんだけど、HKBについて話してもいいかな?」
是国「僕ら2人が揃っている以上、HKの座を他に譲るのはあり得ないと思ってる」
「やっぱり、私がリリィで間違いないんですね」
是国「え、夢だとでも思ってたの?」

是国くんが私に向ける瞳からは『信じられない』という本音が覗いて見えた。

「……はい。でも今お二人とこんな近くで話していたら、現実なんだって理解しました。というか理解させられました」
北門「ふふ。もちろん、君がリリィじゃなくても、俺はいつでも近くで話したいけどね」
是国「トモ。すぐそういうこと言うから周りはどんどん勘違いするんだよ」
北門「……そういうことって?」
是国「あー。なんでもない、気にしないで」
「ふふっ」

2人のやりとりに、自然と笑みがこぼれる。
ついさっきまで近寄りがたいと思っていたけれど、実際に話してみると先入観だけで畏怖の対象にしていた部分が大きかったのだと気付く。

是国「あ、笑った」
北門「よかった」
「……え?」
北門「ずっと表情が固かったから」
是国「本当。これからどんな処罰を受けるの?って思うくらい強張ってた」
「すみません……」
是国「まぁ無理もないか。突然リリィだって言われたら、誰でも驚くと思うし。むしろ僕は、リリィがあなたで安心した」
北門「そうだね。君が誰よりも適任だって直感した。悪用の心配もなさそうだ」
「悪用?」
是国「当然でしょ。HKを生んだ学校もHKになった人も、将来の安泰が約束されるんだから」
北門「リリィの権利は多くの人々に渇望され、リリィ自身も……HKの候補者に求められる」

そう言われた瞬間、ポケットにあるカードの重みをずっしりと感じる。

北門「ごめん、また緊張させちゃったかな?」
是国「怖がる必要はないよ、同じ学校にリリィがいるなら僕たちにとって好都合だし。
怖い思いはさせないって約束する」
「……ありがとうございます」

予想もできない不安に支配され暗雲が立ち込めていた私の心に、少しだけ光が見えたような気がした。
どんなセキュリティよりも安心できる2人の言葉は、今の私にとって神託のようなものだ。

是国「……これから先輩は、HK候補者から甘い言葉をたくさん囁かれると思う。でも僕たちだけに耳を貸して?」
「甘い言葉を囁かれる……?」
北門「――確かに」
是国「トモも気付いた?」
北門「うん。今年のリリィが異性だと分かれば、手にいれる方法はわかりやすい」

二人の笑顔はまるで絵画のように美しいのに、なぜか私の背筋に冷たいものがはしる。
だって、これはつまり――

北門「ちゃん、俺は必ず君を夢中にさせるよ」
是国「僕に恋する覚悟、しておいてね」

「え……?」

安心したのはほんの一瞬。
やっぱり波乱が訪れるのだと、2人の瞳が告げていた。

(ここに逃げてきて正解だった……)

私は今、軽音楽部が使っている部室に隠れていた。
というのも、今年のリリィが私であるという情報はあっという間に校内中を駆け巡った。
それによって好奇の目を向ける生徒や、あることないことを噂する生徒、中には酷い言葉を投げつける人もいて、教室に居づらくなってしまった。

(……私もリリィになるなんて今さっき知ったばかりなのに)

阿修「ちゃん、お待たせ〜〜〜! お昼買ってきたよ!! メロンパンにする? それとも焼きそばパン? サンドイッチもあるよ!!」
「悠太くんが先に選んでいいよ。それとありがとう。此処、すごく落ち着く」
阿修「でしょでしょ〜? 昼休みは人も滅多に来ないし、そもそも部員が少ないから2人占めできちゃうチョー穴場!!」
「声かけてもらわなかったら、トイレで過ごしてたと思う」
阿修「元クラスメイトで親友の僕が、ちゃんのピンチに駆け付けないわけないじゃぁーーーん!!」
「ふふ、ありがとう」

悠太くんがミックスジュースとメロンパンを渡してくれて、ありがたくいただく。
いただきます、と言おうとしたところで……誰かが扉を開ける音がしてビクリとする。

「……ッ」
愛染「あれ、悠太。……しかもかわいい女の子を連れてるなんて、隅に置けないな」
金城「チッ、なんでいんだよ」
愛染「俺と会ってる時点で部室が無人じゃないってことはわかるだろ」
金城「うるせー。オマエも来んな」
愛染「俺は仕事の準備があるからしょうがないだろ、ここじゃないとゆっくりできないし。むしろ剛士は生活指導の修二先生の呼び出し、無視してるって聞いたけど?」
金城「うぜー」
「……」
阿修「まあまあ、2人ともそこまでにしよ?? みんな必要があってここに来たんだからさ!」
愛染「必要があって? 悠太たちも?」
阿修「そそっ、ワケあって ちゃんと仲良くランチ中だよ〜♪」
愛染「ちゃん、か。名前も可愛いね」
金城「“ワケ”ってなんだよ」
「少し……人目を避けたい事情が」
阿修「そうだ! ケンケンとごうちんも仲良しランチに混ざる? 一緒に食べよ〜〜!」

悠太くんにとっては、2人は親しい部員かもしれないけれど。

(私はほぼ初対面だし、全く落ち着けないよ……?)

金城「誰が混ざるか」

金城さんと言えばうちの高校では主に不良の方で有名で、停学ギリギリのところを英語の成績の良さだけでカバーしているという噂。
その一方で、一歩外に出ればライブハウスを満員にするほど人気アーティストらしい。

愛染「素敵な女の子とのランチなら大歓迎だよ。仲良くなりたいし♡」

愛染さんは芸能活動もしていて、校内でファンクラブもあるほどの人気者だ。
一応軽音楽部に属しているけれど、参加率は金城さんと同じくらい悪いと阿修くんから聞いている。

阿修「ケンケンは何食べる? パンあるよ!!」
愛染「パンはいらない。俺はこれがあるから。ほら」
阿修「何それ?」
愛染「サラダボウル」

さすが芸能人、美容に気を遣っている。

「健康的だ……」

無意識に、そんな心の声が漏れる。

愛染「まあね、健康管理も仕事のうちだから。――で、ちゃんが今年のリリィなんだって?」
「えっ!?」

思わぬところから私の話題になって、肩が大きく跳ねる。
視界の端で金城さんも顔を上げたのがわかった。

愛染「人目を避けたいってどうしてかなって思ったけど、名前を聞いて納得したよ」
「……」
愛染「俺もそろそろ仕事のランクをアップさせたいと思っててさ。HKBはいい機会になるって考えてたんだよね。だからここでちゃんと巡り会えたことはすごくラッキーだな」
阿修「そっか!! ケンケンは候補者なんだもんね!!」
金城「……自分のことをハンサムとか思ってるやつ、痛すぎだろ」
愛染「喧嘩売るのやめてくれる?」
金城「オマエが地獄耳だったの忘れてたわ。悪ぃな」
阿修「アハハ!! ケンケン地獄耳〜〜!!」

(悠太くん、すごい……!)

愛染「それに剛士は興味ないって顔してるけど、よく考えてみたら? HKになれば、校則違反もギリギリの単位も、ぜーーんぶ目を瞑ってもらえるんじゃない?
口煩く言ってくる教師たちもいなくなるよ」
金城「……」
阿修「僕には分かるよぉ〜? ごうちん、満更でもないって思ってるでしょ?」
金城「ウルセェ!!」
愛染「はは、図星だ」

金城さんが椅子を蹴って、ガタンと大きな音が立つ。

阿修「ちゃん、ごうちんはあの状態が普通だから全然気にしなくて大丈夫だよ!!」
「う、うん……」

(そう言われても、ちょっと怖い……!)

愛染「悠太はちゃんと本当に仲良しなんだ?」
阿修「うん、大親友♪」
愛染「HKBでは人柄の良さも評価されるし、俺は悠太も向いてると思うけど。立候補したら?」
阿修「えー、僕はいいかなあ。でも2人がHKになったら軽音楽部が注目されて、部活の時間が潤うかもしれないし、それはすぅーーーごく楽しみ!!」
愛染「その理論でいくと、悠太もHKBに出た方が“軽音楽部出身のHK”が誕生する確率は上がると思うけど」
阿修「おおお!! なるほどぉ!!??」

メロンパンを食べるのをすっかり忘れるくらい、愛染さんの話の裏に何か引っ掛かるものを感じる。

金城「愛染、オマエ……」
「2人を焚き付けてる……?」
金城「……」

金城さんの言おうとしていたセリフを言ってしまったようで、バチリと視線が合う。

「わ、すみません!」
金城「別に」
阿修「えええ???!!! ケンケンそのつもりだったの?」
愛染「ライバルは強い方がゲームとしてやりがいがあるし、そこで正々堂々と勝った方が箔がつくからね。もちろん、今年はとても俺好みのリリィに選ばれることになりそうだし」

愛染さんが綺麗な形をした瞳を流れるようにこちらに向ける。

(うう、そんな見つめられると……)

HKBの候補者1名と、参加に心が揺れている2名を前にして、困惑してしまう。

愛染「俺からちゃんにひとつ提案があるんだけど、聞いてくれる?」

少しだけ怖い。
それは愛染さんが今から話すことが、HKBに関することだとわかっているから。

阿修「大丈夫!! ケンケンは女の子にとっても優しいから」
「悠太くん……。はい、愛染さんの話を聞きます」
愛染「ありがとう。さっきも言ったとおり、俺はHKになりたいと思ってる。
それと、多分2人もHKBに立候補することを考えてるんじゃないかな。どう?」
阿修「う〜〜〜ん、ちょびっと心がグラグラしてるかも!? ごうちんは?」
金城「オマエらに言う必要ねぇ」
愛染「その言い方は参加するってことだ」
阿修「ごうちんバレバレ〜〜〜!(笑)」

すぐに阿修くんが耳元で囁いてくる。

阿修「ごうちんってチョロいよね♪ 可愛いんだ〜♡」
「!」

(金城さんにこのテンションで会話できるの、本当にすごいなぁ)

愛染「ということで。
変な注目をされたくないちゃんと俺たちが結託すれば 、快適にHKBの開催期間を過ごせるんじゃないかって思うんだ。
校内で好感度の高い悠太がそばにいて、俺が女の子の心を掴んで悪い方向になるようなことはしない。変なゴタゴタは剛士が睨みを利かせて黙らせればいいし」
金城「は? 勝手に決めんな」
阿修「えっ、それすっごくいいと思う! ちゃんには、毎日楽しく過ごして欲しいし! それを手伝えるなら僕、HKBに参加する!!」
愛染「悠太ならそう言うと思ってたよ。此処に来るまでの間に、リリィに関する噂は良し悪し色々聞こえて来たからね。リリィになる子は大変だって思ってたんだ。剛士は?」
金城「オマエのその得意顔が気に食わねぇ」
愛染「それはつまり?」
金城「ボコボコに倒してやる」
愛染「楽しみだ。最後にちゃんは? 悪い話じゃないと思うけど」
「私は――」

平穏な学校生活を送りたい。
けれど、このまま隠れてばかりもいられないということも分かっていた。

愛染「俺たちに協力、してくれるよね?」
「……わかりました」
愛染「ありがとう。それじゃあ作戦を詰めようか」

これはとても機械的な、利害一致の結託。

愛染「今日から俺たちは仲間ってことだ。よろしく」
金城「最後はオマエのこと、ぶちのめすけどな」
阿修「あれれ?? でもでも、リリィが選ぶのって候補者のうち1人だけだよね……?」
「えっと……」
愛染「最後の最後は俺たちみんな、ちゃんの心を奪い合うライバルだね」
「!」
阿修「よーし、絶対ちゃんに投票してもらう!!」
金城「まずHKBに参加するところからだろ」
愛染「へえ、剛士もやる気だ」
金城「勝負するってんなら、誰にも負けるつもりはねぇ」

何事もなく無事にHKBを終われるのか。
一癖も二癖もある彼らに、惑わされない強い心を持ち続けなければ。

「……本当にあった」

図書室の奥の棚。私はとある宇宙図鑑を見つめて立ち尽くしていた。

遡ること1時間前――
私は自身がリリィであるとバレてしまうことを恐れていた。
リリィとして選ばれたのはとても栄誉なことだと頭では理解している。
けれど、あの有名なHKBの結果を左右しかねない権利を自分が有すると周囲が知ったら……今の大好きな環境が変わってしまうことが恐ろしかった。

(珍獣を見るみたいな目を向けられるかもしれないし、心無い言葉だって向けられる可能性もある……)

平穏な学生生活とは程遠くなる。

(それはちょっと、いやかなり……めんどくさいかもしれない)

そう思ってまず浮かんだのが、図書室に行くことだったというわけだ。

『裏生徒会』――その存在は、名月高等学校に伝わる七不思議のひとつ。この学校に属する学生の悩みをなんでも解決してくれる組織として噂されている。
助けを求める方法、それは図書室の一番奥の本棚にある宇宙図鑑を目印に、日付と同じページに相談をしたためた手紙を入れると、いつの間にか解決されているというものだった。

手紙を青い封筒に入れて、真ん中に三日月のマークを描き図鑑に挟む。

(もしただの噂だったらそれでいい。迷信だったと思って諦めよう)

そうして手紙を入れて次の日、“いつの間にか解決されている”という噂とは異なって、私の元には……。

(返事が来た……?)

ある夜、戦々恐々としながら指定された校舎裏に行くと、そこに立っていたのはクラスメイトの暉くんと、スポーツ特待生として有名な野目さんだった。

王茶利「チャン、ホームルームぶりだね!」
野目「お前の友達か」
王茶利「そうそう! ちょっと前まで隣の席だったんだ!」
「これは、どういうこと……?」
野目「色々混乱してるところで悪いが、まずはこれにサインしてくれ」

渡された書類の上部には“機密保持契約”と書かれていて、細かい文字で難しい言葉がずらっと並んでいた。

(高校生でこんな契約を結ぶ経験、初めて)

甲と乙に頭がぐちゃぐちゃになりながら、なんとか書類を確認し、最後のページにサインをする。
野目さんは書類に不備がないか確認すると、小さく謝罪をして目隠しをした。

王茶利「怖いことは絶対しないから! 約束する!」

小さく震える私の手を暉くんが優しく引いてくれて、案内されたのはどこかの建物の一室。
目隠しをとったとき目の前にいたのは――

釈村「ようこそ!」
音済「……怖い思いをさせたと思う。すまない」
増長「裏生徒会のサンクチュアリへようこそ」
「裏生徒会の正体は皆さん……」
増長「“第10条”」
「秘密保持、ですね」
音済「悪いが、この件は口外無用だ」
釈村「手荒な真似はしたくないので、お願いしますね」

私がこくりと頷くと、暉くんが眉を下げて苦笑いしていて、それに少しだけ心が安らいだ。

増長「早速で悪いけど、本題といこうか。君の相談は承ったよ。俺たちとしても少し考えていたことがあったからタイミングが良かった」
音済「我々はもともとアンダーグラウンドな組織として存在している」
釈村「ですが、より強固な基盤を築くこと、および可能であれば勢力を広げ権限を強めたいと考えています」
野目「今は精々、学園内とその周囲の関係者くらいだからな」
王茶利「十分すごいけどね!?」
「つまり、HKBを利用したいとお考えで……?」

私がそう伝えると、増長さんは感心したように目を見開いた。

増長「流石リリィに選ばれるだけあるな。話が早い」
王茶利「チャン、オレたちと協力してくんない?」
野目「それは詳細を端折りすぎだ」
王茶利「ごっめーーん!」
音済「HKBについては、運営する母体を含め、影響力の及ぶ範囲、それを可能にする組織力など不明な点が多い」
釈村「僕たちもこれまで独自に調査してきましたが、どうしてもセキュリティの問題で内部を知るのに難航していたんです」

座っているソファは重厚で、けれど少しでも動こうものなら高級な皮がキュッと鳴る。
そのせいで出されたお茶も緊張して飲めない。

増長「それで今回、俺たち裏生徒会のメンバー全員がHKBに参加することで内部調査を進めようということになっていたんだ。コネクションもゲットできそうだしね」
釈村「そこでさんにご相談させてください。僕たちと一緒に裏生徒会として活動しませんか」
「エッ……!?」

(そんなまさか)

リリィとして何らかの協力を求められる覚悟ではいた。
けれど、裏生徒会に誘われるというのは、予想していなかった。

王茶利「安心して! もしキミがメンバーになってくれたら、相談の手紙に書いてあった通り、キミがリリィだって情報は漏れないようにする!」
野目「ダミーの手配は釈村とともに手配済みだ」
音済「こちらも掲示板の書き込みに仕掛けをしておいた」
釈村「集団心理の操作は容易いですから」
増長「――ということで、こちらの準備は完了してるんだけど、どうかな。さん」

正直、この条件は悪くない。
それどころか、謎の組織だった裏生徒会に誘われているというのが、今までにないほど私の好奇心をくすぐった。

「私でよければ。ご協力できるように精一杯頑張ります」
王茶利「やったーーー!! ね、チャンなら絶対参加してくれるって言ったっしょ?」
野目「お前が太鼓判押してたもんな」
釈村「どことなくマミリンに似た瞳の光り方をしています。信用できる証拠です!」
音済「それが裏付けになるのか……?」
「えっと、ありがとうございます?」
増長「こちらこそ。そして、ようこそ」

増長さんがスラリとした手をこちらに伸ばし、私は遅れてそれが握手だと理解した。
握り返された手は思っていたより力強くて、今起こる全てが現実の出来事なのだと感じる。

釈村「早速で申し訳ないですが……気になることが1つありまして」
王茶利「ズバリ! 誰とペアになるか!」
釈村「ピンポンピンポン、大正解っ!!」
王茶利「ピーちゃん、座布団1枚持って来て!」
音済「用意すればいいのか?」
野目「冗談だから、本気にしなくていい」

裏生徒会は、思ったよりも和気藹々としているようだ。

(なんか……拍子抜けしちゃった。それに、楽しそう)

増長「こちらから誘っておいてなんだけど、特段、今すぐ増員が必要な役職はないんだ。だから最初は誰かとペアになって活動してもらえるかな?」
音済「会長はこう言っているが、まだに関しては完全に信用したわけじゃない。監査期間を設ける意図だ」

(……和気藹々は訂正。やっぱりシビアだ)

野目「そんな硬くならなくていい。自然にしてもらったほうがこちらも見やすい」
王茶利「でもタツ、それが難しいんだって!」
音済「だがどんな時も平静を装えるくらいの度胸がないと、裏生徒会は務まらない」
釈村「一理ありますね」
王茶利「……うっ、それはもしかしなくてもオレのこと!? もっと頑張ります……」
増長「ふふ。さんは誰と一緒がいい?」
「……正直、暉くん以外の方とはまだそんなに親しくなくて」

膝の上に置いた両手をギュッと握り込む。
どこまで見られているかと思うと、油断ができない。

王茶利「んじゃ、オレとペアっちゃう!?」
野目「力に自信があるなら、俺のところでも構わない」
釈村「龍どのからのアプローチとは、珍しいですね?」
野目「秘密保持の契約のとき、青い顔してるの見たらなんかな……」
王茶利「タツは最高に優しいからね!」
音済「ネットに興味があれば、俺のところも歓迎だ。ともにダークウェブの奥まで探ってみよう」
増長「それはほどほどにね?」
王茶利「オレと一緒にいろんな人と話せば、友達100人も夢じゃないよ!?」
釈村「論理的思考がお得意であれば、僕と一緒にありとあらゆるものをロジカルに紐解いていきましょう……!」
音済「みかが偶によくわからないことを言っているが、大体アニメに関することだ」
「はい……」
増長「全部をバランスよく見るなら、そして裏生徒会のことをよく知りたいなら、俺とのペアがいいかな」

それぞれのメンバーの話を聞いていると、今ここで誰かひとりを選ばなければいけないみたいだ。
リリィとしてひっそりと、その姿を隠すために相談したはずが、裏の世界に足を踏み入れてしまった。
これから待っているのは“リリィ”という立場と、HKBを探る“裏生徒会のメンバー”という二足の草鞋。

(でもむしろ、これくら緊張感があったほうがいいのかもしれない)

――深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだから。

「明謙くん……」
不動「ちゃん」

私が今年のリリィであるという噂はあっという間に学校中に駆け巡り、そして私は――
なぜか柔道場の真ん中で明謙くんと対峙していた。

(この状況は……どういうことなんだろう?)

不動「突然呼び出したりしてごめんね!」
「あの、それはさっきも言ってもらったから本当に気にしないで」

もともと柔道部のマネージャーとしてお手伝いしていたこともあり、明謙くんから声をかけてもらった私は、何も考えずに柔道室に向かった。
けれど室内に入ったら最後。全ての扉の前に人が立ち、逃げ出すことは許さないという状況に置かれる。

(四面楚歌の言葉の成り立ちって、これなのかもしれない……)

と冷静に努めようとする頭で考える。
それぞれ扉の前には唯月くんと遙日くん、そして弥勒くんが立っていて、彼らは明謙くんの親友。私がここにいる事情に絡んでいるに違いない。

不動「……早速だけど、君に相談があって」
「はい。あの、その前に……逃げるつもりもないので、みなさん座りませんか?」
遙日「えっ、いいの!? やったー! ずっと立ちっぱで疲れちゃった」
唯月「ああ、言ったそばから……はるったら」
殿「それでは失礼します」
不動「うっ、ごめんね。閉じ込めるつもりはなかったんだけど、この話は誰にも聞かれたくなかったし、僕たちの真剣さを伝えたくて!」
「明謙くんがいつも真面目なのは知ってるし、ちゃんと聞くから。それで、さっきは話の腰を折ってごめんね。続きをどうぞ」

私は目の前に座り、唯月くんたちの顔を見渡す。すでに明謙くんが私に伝えようとしていることを、彼らは分かっているみたいだ。

不動「僕たち、煌蘭学園高等学校のことが大好きなんだ」
殿「我が校の歴史は江戸時代まで遡る。一時は運営を不安視される声もあったが……」
唯月「海外の教育機関と提携して、これまでと変わらず、むしろそれ以上の水準まで上り詰めて、今や日本トップレベルの高校までになりました」
遙日「でもでも、まだまだこの学校は上に行ける!! ってオレたちは思ってるんだ!」
「それと、私にどんな関係が?」
不動「君が今年のリリィになったって聞いた。それは本当?」
「……それは。はい」
唯月「隠すのも誠実ではないのではっきり伝えると、僕たちにとってHKBの開催、そしてあなたがリリィであることは好都合なんです」
殿「HKがこの学校から生まれたら、より煌蘭学園高等学校の名前は全国へ知れ渡り、ブランド化されます」
遙日「出願者も増えるし、資金が潤沢になればみんながこの学校で学べることも増えるでしょ? 将来社長になったり政治家になったり、すっごい生徒がもりもり誕生するかも!」
不動「だからちゃん、僕たちと一緒に頑張ろう!」
「……ッ」

突然、明謙くんに両手をぎゅっと包まれる。
握られた手はあたたかくて、僅かに込められた力は真剣さを帯びていた。

不動「仲間になって、この学校のために全力を尽くそう!」
遙日「おねがい!」

遙日くんも明謙くんの手のひらの上から、私の手を包む。
息がかかりそうなほど近くで、2人の輝く瞳が私をじっと見つめていた。

唯月「……2人とも、ちょっと圧が強いかも」
殿「怖がらせたら逆効果だ」
不動「わっ、ごめん!」
「それで、具体的に私は何をしたらいいのかな? リリィとは言ってもHKBで投票するくらいしかできないし」
唯月「それです」
殿「その投票で、俺たちの誰かに投票してください」
「でもそれは……」

(八百長というか、不正にならない?)

この学校で重んじる校訓、そして私の知っている明謙くんの信条に反する考えに、不信感が顔を出す。

不動「ちゃん、大丈夫だから。ルールを侵すようなことは絶対にしない。正々堂々、清く正しく美しく投票してもらうつもり!」
遙日「ということで、には、オレたちのことを好きになってもらおうと思って!」
「………………え」

今までの人生で、一番間抜けな声が出たかもしれない。

唯月「ご、ごめんなさい。色々と説明が足りなくて。えっとつまり、リリィであるあなたの心を僕たちがちゃんと掴んで、『投票したい』と思わせれば嘘にはならないということです」
殿「俺たちの誰か1人でも、あんたがHKとしてふさわしいと思ったら投票してください。そうなるように、俺たちは頑張るのみです」
「なるほど……」

(理屈は理解はしたけど、全然わからない。……けっこう無茶苦茶なこと言ってる気がするけど)

でも目の前の4人の瞳には少しも濁りはなくて。
だからこそ今日ここに呼び出して、ちゃんと真正面から伝えてくれたんだと納得した。

遙日「HKBの期間中は、オレたちを恋人だと思っての好みを教えて?」
不動「理想の彼氏になって、必ず投票してもらえるようにするから!」
唯月「彼氏じゃなくて、HKだからね……?」
殿「似たようなものじゃないのか?」
唯月「との……」
「……ふふっ、あはは」

そしてなんとなく、彼らのこの会話に和んでしまっている自分がいる。
すでにもう、彼らのことを人として好きになっている気がした。

遙日「ではでは早速!! オレとデートしてください!」
殿「その順番はどうやって決める、じゃんけんか?」
遙日「あみだくじがいい!」
唯月「あの、みんな肝心なこと忘れてるかも」
不動「え? ……あ、そっか! ちゃんからまだ返事もらってなかった」
「あ、そうでしたね。えっと、それじゃあ……」

まんまる目がこちらをじっと見つめる。
漫画だったら、うるうるしているチワワが4匹いるみたいな絵面に違いない。

「わかりました。仲間として協力する、ということで」
不動「ありがとう!」
唯月「ありがとうございます」
遙日「やったー!」
殿「感謝します」
「ただ、みなさんが言うように不正は良くないので、ちゃんと向き合って決めます」
遙日「もちろん! じゃあ早速、オレとドッグカフェデートに行こう!」
唯月「それじゃあ僕は、猫カフェに」
殿「普通のカフェじゃ駄目なのか?」
不動「カフェってそんな種類ある……? デートってカフェしばり?」
「探せば色々あるみたいですね、ハンモックカフェとか」

4人はすぐにスマホでデートスポットを探したり、『芸能人だったら誰が好き?』と私を質問攻めしてきたり。
本当に“リリィの理想のHK”になるんだという意気込みを感じる。

(……すっかり癒されてたけど、明謙くんも唯月くんも、遙日くんに弥勒くんも……校内でかなりモテる人たちだよね)

そんな彼らを侍らせたら、私は今度こそ女子生徒たちから四面楚歌の状況になってしまうのでは……。

唯月「あの、なにか不安なことでもありますか?」
殿「仲間になったからには、なんでも言ってください。できる限りのことに対処します」
遙日「そうだよ! 楽しいこともそうじゃないことも、キミからの話ならウェルカムだから!」
不動「どんな状況になっても、絶対にちゃんの味方だよ」

(わ、わわっ……)

「今の、すごく良かったです」
遙日「えっ、ほんと!? こういう感じ好き?」
唯月「メモ……」
殿「勉強になります」
不動「あははっ、本気だったんだけどな……」

見逃しそうなどんな一瞬だって、彼らは一生懸命だ。
そんな姿を見て、私もリリィとしての役目を全力で果たそうと心に誓った。

北門「ちゃん、ランチに行こうか」

昼休みになると、よく通る綺麗な声が私の名前を読んだ。

「はい」

私が“リリィ”になり北門先輩と是国くんと話したあの日から、北門先輩は毎日昼休みに会いに来てくれるようになった。
ランチの誘いも、気後れしてしまい断ろうとするものの、巧みな話術に乗せられいつも気付けば席に座ってしまっている。

(わかっていたけど、本当にまるで住む世界が違う……)

最初に誘われたランチは空き教室がレストランのように変貌していて、星付きレストランのシェフが素敵な料理を用意して待っていた。
とても驚いたけれど、きっと北門先輩たちにとっては当たり前のことなんだろう。

北門「今日はカフェテリアに行こうと思うんだけど、いいかな?」
「はい。慣れた場所なので安心します」
北門「それはよかった。普段のちゃんのことを、もっと知りたいからね」

学内にあるカフェテリアには和洋折衷いろいろな料理が揃っており、日本を代表するレストランが監修していてとても美味しい。

北門「券売機で食券を購入するんだったよね」
「はい。北門先輩は利用したことありますか?」
北門「実は今日が初めてなんだ。けど、生徒会長として学内の施設のことは全て把握してるよ。ちゃん好きなメニューはどれ?」
「私は……このオムライスが好きです」
北門「じゃあ、俺もそれにしようかな」

それぞれ料理を持って席を探す。
昼休みともあって、テーブルは割と埋まっていた。

(北門先輩をこのままお待たせしてしまうわけにはいかない。ここは私が……)

中庭がよく見える窓側の席に空きがあるのを見つける。

「北門先輩、あそこにしましょうか」

私が誘導すると、北門先輩は優しく微笑んだ。

北門「花も緑もあって、素敵な景色を見ながらランチができるなんて嬉しいな。ちゃんのセンスは素晴らしいね」
「いえ……そんな褒めていただくほどでは……」
北門「そんなことないよ。景観は俺もこだわりがあるんだ。特に中庭は生徒たちみんながリラックスできるような場所にしたいと思っていたから、君がこの席を選んでくれたことがとても嬉しい」
「そうだったんですね」
北門「みんなには笑顔で過ごしてほしいからね」

その後も、北門先輩は中庭の花について聞かせてくれた。
どの花にもこだわりが詰まっていて、彼が学園の生徒会長として細部まで目を配っているのが伝わってきた。

校庭に面した席が空いているのが見えたので、私は北門先輩を先導した。

「この窓側のテーブルでもいいですか?」
北門「もちろん。むしろすごくいい席だと思う」
「いい席……?」
北門「全体が見渡せるからね。全校生徒を覚えることはなかなか難しいし、部活や学年が違うとほとんど関わらないことの方が多い。だから、時間があるときはこうして学園を見渡したりしているんだ」
「なるほど……。ただ、私はそんなところまで考えてたわけじゃ……」
北門「うん。君が自然と選んだとしても、その選択が俺の感性と一致したということがとても嬉しいんだ」

“家柄も素晴らしく、肩書も立派でなんでもできる人”
私だけではなく、大半の人がきっと彼に抱いていているイメージだ。
けれど話すうちに見えてきたのは、北門先輩が生徒会長としてこなしていることは、私たちの想像をはるかに超えているということ。

(生徒会長というよりも、創設者という方がしっくりくるかもしれない……)

ランチでの会話は思っていたよりも弾み、予鈴の音でまもなく昼休みが終わるのだと気付く。

北門「ちゃんと話していると時間があっという間に過ぎてしまうね。明日から昼休みの時間を増やす議案でもだそうかな」
「えっ!? じょ、冗談です……よね……?」
北門「ふふ、どうだろう? でも、それくらい時間が足りないと思っているのは本当だよ」
「……」

熱い視線を受けて、戸惑ってしまう。

「あの、そんなに見られると困ります……」
北門「ああ、ごめんね。なんだか不思議な気持ちだな」
「不思議……?」
北門「うん。これまであまり感じたことのない感情というか。ちゃんと会う回数を重ねるごとに、君を素敵だなと思うことが増えていくんだ」

――唐突に、なんの話だろうかと混乱した。
そんな私をよそに、北門先輩は話を続ける。

北門「最初は少しでも仲良くなれたら、くらいに思っていたんだけど。時間を重ねるとその思いも変化していくんだね。今も、君のまつ毛の影が綺麗だとかそんな些細なことで俺の心が揺れるんだ。いつの間にか俺の方が……」

そう話す北門先輩の澄んだ瞳が真っ直ぐに私をとらえる。
一瞬が、とても長く感じる。

北門「……」
「……っ、あの……北門先輩……?」
北門「……あ、もうこんな時間か。そろそろ行こうか」

そう言って席を立つ瞬間、少しだけ違和感を感じた。

(なんだろう)

北門先輩の瞳が一瞬切なそうに揺れた気がした。

そしてそれは――

『俺は必ず君を夢中にさせるよ』

私にそう言ったあの日と、同じ瞳をしていた。

阿修「今日はどこに寄り道しよっか」
「あはは、寄り道は確定なんだ?」
阿修「あったりまえのもちろんだよーーー!!! だってせっかくちゃんと一緒に帰るのに、家に直行なんてもったいない!!!」

放課後、教室まで迎えに来てくれた悠太くんと一緒に校舎を後にする。
愛染さんはモデルのお仕事、金城さんもライブがあって部活はお休みらしい。
あの日、愛染さんの提案に私が乗ることになり、合わせて悠太くんもHKBに参加することが決まった。

(“リリィ”に選ばれた時は、この先の学校生活がどうなってしまうのか心配だったけど……)

こうして常に悠太くんがそばにいてくれるおかげで、今のところ生活にそこまで大きな変化はない。
彼がいると自然と周りは笑顔になり、明るい空気に包まれる。

(……間違いなく、悠太くんの人柄のおかげだよね)

ご機嫌で鼻歌を歌っている悠太くんの横顔を見ながら、そう思う。

阿修「あ、なんかいい匂いがする!! ……これは……クレープだ! よーし、今日の寄り道はクレープに決定♪ どう!?」
「うん、賛成!」

毎週学校近くにやってくるクレープのキッチンカーは、私たちお馴染みの寄り道コースだった。

阿修「なににしようかな……いつも通りベリーベリーイチゴミルククレープにするか……いやっ、今日こそピスタチオストロベリーチョコにしてみるか……あーでもでも、スペシャルチョコバナナミックスも捨てがたい!!」
「期間限定で生チョコストロベリークレープもあるよ」
阿修「ウワァーーー! 誘惑が多すぎる!! ちゃん、僕を迷わせようとしてるでしょ???!!!」
「ふふふ、バレた?」

悠太くんは、笑ったり困ったり、時々眉間に皺を寄せて、文字通り百面相をして悩んでいる。

阿修「うーーーーーーーーーーーーーん……よし!!! 決めた!! 今日はストロベリーチーズキャラメルマキアートアイスにする!!」
「おお、なんか呪文みたいだね」
阿修「確かに!! きっと美味しい魔法がかかってるんだよ!」
「間違いないね」

(私は何にしようかな……?)

「スペシャルチョコバナナミックスに、カスタードクリームを追加トッピングでお願いします!」

悠太くんが最後まで迷っていたクレープにする。

阿修「あー! カスタードも追加したら絶対美味しいに決まってる!!」
「ふふふ。1人で食べるの大変だから、悠太くんも少し食べてくれる?」
阿修「え、いいの!?」
「もちろん」
阿修「ちゃんは優しいなあ、ホント」
「悠太くんがいつも優しいからだよ」
阿修「それはちゃんが……って、これじゃあずっとお返しのお返しになっちゃうね?」
「あはは、本当だね」

結局、一口ずつクレープを交換することになった。

「ベリーベリーイチゴミルクにクリームチーズを追加でトッピングしてください」

これは悠太くんがいつも注文する定番メニューだ。

(後からこれも食べたくなるのが悠太くんなんだよね)

阿修「あ、僕がいつも頼むメニュー!!」
「そうだよ。それでいっつも『やっぱりこれも食べたくなった〜〜!』っていうやつ」
阿修「あはは、ちゃんはなんでもお見通しだ!」

そんな笑顔を見て嬉しくなる。

「一口あげるね」
阿修「わーーーい! やったーーーー! ちゃん大好き!! 僕のもあげるから交換しよ!!」
「うん!」

気軽に分け合える、この関係がとても心地いい。

クレープを食べ終わって、いつも通りの帰り道を歩いていると、寂れた掲示板に夏祭りのポスターを見かける。

「これ……去年のポスターがそのままになってるみたい」
阿修「今年もあるのかな?」
「毎年やってるから、あるんじゃない?」
阿修「やったーーー! 一緒に行こうね!」
「去年は何月にやってたんだっけ……?」

日に焼けて薄くなってしまったポスターの文字を追う。

(9月…………)

どうしても頭によぎるのは、 HKBの存在。

「……」
阿修「ちゃん?」
「あ、ごめん。なんでもないよ」
阿修「……。あのね、あんまり気負わないでほしいんだ!!」
「うん……でも9月には結果が出るなって――」
阿修「どんな結果でも、ちゃんと僕が親友っていうのは変わらないでしょ?」
「それは、もちろん!」
阿修「でしょ!? だからいいの!! 9月、絶対に行こうね。はい、約束っ!!」

そう言って悠太くんは元気に小指を差し出してきた。

「……うん!」

私も自分の小指をからめる。

阿修「ゆーびきりげんまんっ、嘘ついたらクレープをおごることっ!!! 指切った!!!」
「クレープでいいの?」
阿修「だってだって、甘くて美味しくてサイッコーでしょ!?」
「そうだね」


――彼の優しさは、クレープの甘さ以上に心へと染み渡った。

(少し早めに着いちゃったな)

音済さんは美術部でモデルをする約束があるということで、それが終わる時間にコンピュータールームの前で待ち合わせていた。

音済「――待たせたか」

音済さんに声をかけられる。

「いえ、時間通り……むしろ少し早いくらいです」

その声は落ち着いたトーンで――それでいてなんだか、聴いているこちらの心がソワソワするような不思議な感覚がする。

音済「変わったことはないか?」
「え?」
音済「あれから、あんたがリリィだと疑われるようなことは?」
「あ、ないです。みなさんのおかげで……ありがとうございます」
音済「そうか。それはよかった」

音済さんはコンピュータールームの鍵を開けると、手前のテーブルに座ってパソコンを取り出した。
そしてすぐにHKBに関する雑談が書き込まれたサイトを開くと、その画面を私に向ける。

音済「いくつかのサイトを監視しているが、あんたに関する書き込みは今のところない。ダミーの人物に誘導しているのもあるが、現状はあんたに行き着く可能性は低いだろう」
「ありがとうございます」
音済「ただ安心するのはまだ早い。芸能でもよくあるだろう。出身地やプライベートな情報を探るようなまとめサイト。それにSNSでやたら業界に詳しい情報を発信しているアカウントが」
「ありますね……」
音済「いたずらに面白がって、リリィを探る人物は後を絶たない。見つかった端から俺たちで一掃する」

(簡単そうに言ってるけど、すごいことなんだよね)

その後も音済さんは、真っ黒な画面に英語や記号を打ち込んでは、いろいろなサイトを確認していた。
それを見ていると、今私にできることはなさそうに思える。

(でも何もしないわけにはいかないし)

そう思い、私もSNSで適当なキーワードで検索しながら、ネットの情報を収集することにした。
無言の時間が私たちの間を流れたあと、不意に音済さんから唐突な質問をされた。

音済「……俺たちが、怖いと思うか」
「え? えっと――」

「正直に言うと……すみません。少し怖かったです」

気まずいままに答えると、音済さんが少しだけふっと微笑んだ。

(笑った……!)

音済「素直に話す人物の方が信用できる。だから謝罪は必要ない。それにあんたが俺たちに初めて出会ったあの状況で、怖くない方がおかしい」
「……す、すみません」
音済「逆にあれはテストでもあった。無理に自分を良く見せようと取り繕う人物は、すぐにメンタルを崩す。つまり、最初の印象と今の受け答えで、俺はあんたを一先ず信用できると思った」
「……」

(音済さんも、率直にモノを言うタイプなんだな)

けれどまさにその明け透けな言葉で、私も彼を信用できるような気がした。
裏生徒会だと言って突然彼らが目の前に現れたときは、難しい駆け引きをする必要があるのではないかとひどく緊張した。

(でも、違ったのかも)

「ありがとうございます! 今後もよろしくお願いします!」
音済「……、感謝されるやりとりがあったか? 俺はあんたを試したのだが」
「むしろそれに関して、お礼を言ったつもりです」
音済「そうか」

「なんと言うか、その……“怖い”という感情に近い緊張をしていました」
音済「? それは具体的に言うと何だ?」
「そうですね。えっと、猛獣のいる檻の中に放り込まれた……みたいな感覚が近いです」
音済「ふ、言い得て妙だな」

(あ、笑った。こういう冗談が通じる方なんだ)

それに少しホッとした。

音済「あんたなら、なれるかもしれないな」
「なれる……??」
音済「あんた自身が己を“猛獣の中に放り込まれた人間”とそう表現するならば、猛獣使いになれる可能性があるんじゃないか」
「いや、それはさすがに……」

裏生徒会の面々を頭の中に思い浮かべて、小さく身震いした。

「その可能性はほぼないと思います。それに、音済さんは猛獣として扱われたいんですか……?」
音済「……そういう返しがくるとは」

音済さんは、キーボードを打つ手を止めて、こちらを向いた。
私もスマホを机に置いて、音済さんの方へと体を向ける。

音済「あんたは……いや、は面白いな」

(あ、初めて名前で呼んでもらった。すごく嬉しいかもしれない、妙な達成感というか)

「“面白い”というのは、いい意味に捉えても……?」
音済「もちろんだ。とても興味深い。リリィに選ばれる人間というのはどんな人物だろうと思っていたが、見応えがありそうだ」

(これは、一歩音済さんと近づけたと思っていいのかな……?)

音済「……」

私に向けられる視線に含まれているのは、好奇心か、それとも――

「よし、雑巾は絞り終わったから……あとはこれを干して――」
不動「僕も手伝うよ」

柔道部の練習が終わり、掃除用具を片付けていたところを明謙くんに声をかけられる。

「もう終わるから、あとは任せてもらって構わないよ」
不動「ううん、手伝う。……少し話したいし」
「うん、わかった」
不動「…………えっと、お、お好きな食べ物は?」
「あはは、どうして急に敬語なの?」
不動「だって! 緊張するじゃん!」

きっと、『HKBに向けて、私に好きになってもらう』というのを実行してくれているんだと思う。

「いろいろな試合で強い相手をたくさん倒してきた明謙くんが、私に?」
不動「だって今回は倒すんじゃなくて、好きだって思ってもらいたいから!」
「……っ」

真正面からそう言われると、さすがに私も照れてしまう。
けれど、柔道で正々堂々と試合に挑む彼の姿を見てきた身としては、とても明謙くんらしいと思う。

不動「やっぱり、僕が突然こんな感じで接したら戸惑うよね?」
「……戸惑うというか、ビックリはするかも」

それが今の私の、正直な気持ちだった。

不動「君にとって僕って、今までどんな存在だった?」
「唐突だね?」
不動「だって、試合の前には相手のことを知ることから始めるでしょ。……って、あ、あのっ! 試合みたいに倒すわけじゃないけど、スタンスとしては試合に似てるというか!」

必死に訂正する彼を見ていると、どうにも心が勝手にほぐれていく。
明謙くんには、そんな魅力がある。

「うん、伝わってる。強い意欲みたいなことだよね」
不動「そう! それ!」

(私にとって明謙くんは……)

「友人に近いのかな」
不動「友人?」
「そう。色々と相談に乗ってもらったり、逆に相談してもらったりしてるのもあって、親しい友人の1人って感覚がまず浮かんでくる」
不動「そっか」

明謙くんが何か考えるような様子を見せるので、私はもう少し言葉を補足したくて続けた。

「でももちろん、今回私がリリィになったってこともあって、しっかり向き合いたいって思ってる。みんなの熱い思いもこの前聞かせてもらったから」

“友人”というのは、変な線引きをしたわけじゃない。
明謙くんと私は学年が違うけれど、それでも近い存在だと伝えたかった。

(……私にとって本当に大事な1人だよ、って)

不動「すごく……、すごく嬉しいよ」
「え」
不動「だってさ、ただ部活が同じ人ってだけだったら悲しいもん! よかったぁ、友達だって思ってたのが僕だけじゃなくて!」
「……今の言葉を聞いて、私もホッとしちゃった」
不動「僕のほうこそだよ? それにさっき照れてくれたってことは、ただの友達じゃなくて、少しは意識してもらってるってことだもんね?」
「――……」

急にそんな胸の真ん中を突くようなことを言われて、うまく返答できなかった。

「頼れる先輩って感じかな」
不動「それだけ?」

もっと欲しいという彼の瞳を見ていたら、私も思っていたことをちゃんと伝えたくなる。

「明謙くんは誰よりも努力してて、それでいて驕ることもなく公平だと思う。
それは心が強くて優しい人じゃないとできないから、私はいつも見習いたいって思ってるよ」

(上手く伝えられたかな……)

不動「それはきっと、君が僕を魅力に思ってくれてることの一つなんだよね」
「はっきりそう言われると照れるけど、そういうことだと……思い、ます」
不動「あはは、今度は君が敬語になっちゃった」
「だって!」
不動「あはは!」

明謙くんがとても嬉しそうに笑っていて、私も自然と頬が緩んだ。

不動「実はね。HKBのために大見得を切ったはいいけど、どうしよう! って思ってたんだ」
「……」

確かに私を呼び出した日の4人は、情熱と勢いだけを頼りに説得をしにきていた。

不動「でも僕は君が大事で、君も僕を大事に思ってくれてるのが分かったから、あとはその気持ちを深めていけば良いってことだよね!」
「明謙くん……」
不動「好きになってもらうって簡単じゃないし、僕はやっぱり君の気持ちをまず一番に大事にしたい。だからちゃんが僕に思ってくれてるその気持ちを裏切らないように頑張るから」
「そこは全く心配してないよ、明謙くんだもん」
不動「ありがとう」

すると、明謙くんが照れくさそうに視線を逸らしながら。
けれど次の瞬間には意を決したように、私の瞳をじっと見た。

不動「じゃあまずは、今日一緒に帰ろう」

それが今日の彼にとっての一大決心だと思うと、私も心を込めて返事をしなければ。

「よろしくおねがいします」
不動「やったー!!」

――彼の快進撃は、まだ始まったばかりだった。